2011年10月30日日曜日

大物

初秋に釣り上げた岩魚(いわな)、永年渓流釣りをしているが、このサイズは20年位前に一度あったかな~。全長40cmの超大物でした。ハリス0,8号で、はらはらしどうしでしたが、やっとの思いで穴から引き揚げました。冷凍していたものを昨夜東京住まいの娘が来てかーちゃんと三人でタイラゲました。グリドルで奥戸(おこっぺ)の芋とバターで塩、胡椒が最高です。
来年も神様お願いします。

2011年10月25日火曜日

会津会総会

10月22日会津会の総会がありました。上野の精養軒で、東京、会津、東京近辺、そして青森県の斗南からも140年の時を越えて、斗南会津会の会員6名が会員となって参加してきました。以前から会員になって参加している奥川様を除いて5名ですが、私達は会津へ同じ熱い思いを持つ人々と会える事を今年の春から心待ちにしておりましたが、今回それが実現されて、大変感動しました。総会終了後の懇親会では、皆同じ同志の気持ちに戻り、話が弾みます。益々強くなる先祖への思い、戊辰戦争はまだ終わっていないのかな~。今日現在興奮が続いています。
会津藩の戦争責任を唯一人で背負い自刃した萱野権兵衛の墓
花と線香を立てお祈りしましたが、何方がお祈りしたのかそれ以前の痕跡もありました。

14代当主松平保久氏と

斗南会津会の重臣
東京からの帰り私のみ仙台下車、小池繁次郎(会津藩500石)の末裔宅へ一泊会津を語り楽しい一夜を過ごしてきました。

不許他見(秘書)其の6

これは木村幸蔵(会津藩士、公事所小役人)の戊辰戦争の記録です。
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1、野村圓蔵殿公事奉行へ転役、10月二日若松登の事
1、石塚源五郎義与力大森貞治義、割り場浮人被仰付十月六日若松登の事
1、十月十日、樋口作左衛門、酒屋陣屋へ帰着
1、御陣屋造作の上十月二十一日町下宿より引き移る
1、役場の義同月二十五日引き移る
1、十一月四日名倉殿清介御附き添えにて御陣屋着。同日中川家内一同家内着
1、同月十三日十三日清介義郷割元改役人本役仰せ付けられ同日小役人本役仰せ付けられ候
1、十二月十三日御新領蒲原郡六郷村へ地所境界見聞のため、同心良蔵召し連れ出役致し候事
1、同月二一日、名倉殿、若松登り、同月二八日帰陣の事
1、辰年正月三日より五日迄井深宅右衛門殿隊御陣屋へ着に相なり、組頭池上武助、茂原半兵衛組の義、士中編製半々、都合八十一人、右隊長始め隊下残らず陣屋内明き長屋へ下宿設け致し候。越国表の義、追々切迫については御人数弾薬製作などについては、役場の義凡て右軍事へまかり候義、夜分に限らず精々尽力罷りあり候事。

2011年10月7日金曜日

斗南日新館

戊辰戦争により会津藩校日新館は廃校になりましたが、一年間謹慎後、旧会津藩士達は陸奥の国、田名部(青森県下北郡むつ市)と三戸、五戸地方へ移住して旧会津藩を再建し斗南藩と命名しました。移住の年明治3年、会津藩校日新館を円通寺(仮藩庁)と三戸に開校し斗南藩校日新館としました。然し一年後に廃藩置県を断行され、全てが消滅してしまいました。それから110年後、昭和56年むつ市在住で斗南会津会会員の吉田解造氏が斗南日新館と命名した剣道道場を開館しました。藩校日新館の夢を胸に吉田氏は剣道を通し武士道の心を青少年の健全育成の教育として活用したかったのだと思います。道場開館の時に合わせたように松平十三代当主、松平保定様が下北へ来郡された折来館され、快く斗南日新館の五文字をしたためられたそうです。それから三十年の歳月が過ぎ、松平十三代当主保定様は今夏永眠なされました。戊辰戦争以来百四十二年の歴史を想いながら天国へめされた事と思います。陰ながらご冥福をお祈り申し上げます。
吉田氏も高齢には勝てず道場を閉館する事になり、今回この書を私の私設資料館への展示を希望されました。

鹿

松林の右端辺りに居たはずなのに???この前一週間前にも大間牧場で目撃しました。その時は車道を横断中でしたので、5mの至近距離でしたが、同乗中の私の孫2匹が興奮して吠えた為、デジカメを用意する間も無く鹿は林の中へ消えてしまいました。体高1m以上、体長1、8メートル位の大型の鹿ですが、2頭目撃しました。カモシカは日常的に見ていますが、巨大な角を持つ鹿は下北には居ないと信じていました。大間の町は原野が多く、雪も少ない所なので冬場の食物に不自由しない為なのでしょうか、原野の草の実も雪に埋もれない為か、最近の暖冬異変もかさなっているためか、雉とやまどりも異常繁殖中です。昔の年寄りは、よく、蝦夷鹿が一列になって、津軽海峡を北海道から渡ってきたと言っていた記憶がありますが、本当に蝦夷鹿なのか、本州鹿なのか素人の私には判別できないでいますが、近いうち、必ず映像に撮りたいと思います。
中央に3羽だけ写りました。この出汁で蕎麦を食べたらやめられません。

2011年10月6日木曜日

夜の銀座

川向が函館市の夜景だけど今日はあまり良く見えませんでした。

上の漁火は大間マグロの延縄漁の火です。
上は大間から風間浦にかけてのイカ釣り船の漁火。夜が明けるまで灯る漁火に、私は何時も生きる人間の勇気をもらっています。雨の日も風の日も出漁する漁師の人々の生きざまに感動し、最北の地に生活する喜びを感じる一人です。