2012年5月27日日曜日

八重の実家

来年始まるNHK大河ドラマ八重の桜の主人公、山本八重子が生まれ、戊辰戦争まで生活した所です。住所は会津若松米代四ノ丁、古い城下絵図では戸主は父、山本権八。

明治三十年代の絵図では戸主が兄の覚馬になっています。

2012年5月19日土曜日

本州最北の花祭り

今日5月19日、快晴の青空のもと、花火を相図に本州最北端の桜祭りが始まりました。
観光協会会長の挨拶で~~~~~~~。北海道より少し遅い花見です。
まもなく、芸能保存会のか~ちゃん達の威勢のいい、五所川原、立ちネブタ、やってまれ、やってまれ、で会場は盛り上がり、酒も弾みます。
焼き肉はマグロ以上の最北大間黒毛和牛2頭が、皆さんの胃袋に収まりました。

大間牛の焼き肉の歴史
今から百数十年昔、弁財天嶋で難破したイギリスの貨物船の乗組員を、大間の村民が救助した時、当時禁じられていた、四足「牛)の肉を提供したのが、大間の焼き肉の始まりだと、言われています。後に当時のイギリス皇帝から感謝の懐中時計が送られています。
仁和賀山の中乗り(笛、太鼓を鳴らす子供達)もおおはしゃぎ、一万円の肉をあっとゆうまに
タイラゲマシタ。
カラオケ出番はこの人、昨日までインフルエンザだったのに?餞(はな)の上がること、々
胸元にご注目、お尻にも、さすが仁和賀山の道先です。

2012年5月16日水曜日

個人情報ウンヌンに思う

今日5月15日、四国徳島より斗南藩士の末裔が二人はるばる最北端まで訪ねてきました。先祖の書付の中で斗南へ来た事が、はっきりしているからです。二人は県の法務局へ出向いて先祖の足跡を確認したかったのですが、個人情報に関わる事は教えられない、それと法律で期限が過ぎているので廃棄処分したとの、冷たい回答だったそうです。子孫を証明するものも持って行ったのに?会津は卑劣な戦争に巻き込まれ、敗戦、禁慎、そして斗南へ流され、一年ちょっとで廃藩置県藩士は路頭に迷い全国へ散って行きました。今その子孫達が先祖の足跡をたどり供養を思う時、余りにも非情な
法律のように思われてなりません。今日の方々以外にも多数の問い合わせがあります。私は全国へ散った藩士の子孫と、この問題について考えたい。



2012年5月10日木曜日

不許他見(秘書)その12

これは木村幸蔵(会津藩士公事所小役人)の戊辰戦争の記録です。
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1、五月二七日八ツ時頃若松表宿元より親大病の趣き申し越し候に付き、清水殿へ
  伺い候うえ、翌二八日朝、津川までの家来壱人相頼み、明け六ツ半時頃出起、保田より
  新道へ相懸り津川町、常次郎方へ兼ねて頼み置き候衣類所持致し、清水殿衣類、家来
  に持たせ同処より相戻し、それより焼山端郷へ壱宿、翌二九日宿元迄着の積りにて出起
  高久川原迄罷り越し候へば和田清六に行き逢い親義疾二四日病死致し葬送も相済まし
  候由話承り力も抜け、もっとも夜に入り、草臥候に付き高久村に壱宿翌晦日甲賀町へ
  立ち寄り四ツ時過ぎ宿元へ着、墓参等いたし六月三日出起、野沢、津川両宿へ泊まり
  同所より乗船にて五日七ツ時頃水原表着。

2012年5月8日火曜日

今日の晩酌

今日の晩酌の糧は山ウドの天麩羅、味付けした若布の芽株の干物と山わさびの醤油漬け、苺と
枸杞(くこ)でした。枸杞は果実酒にすると強壮の効が在ると言う。実は熟すと真っ赤な卵型、
それを今日は朝と昼でお茶に入れて10粒くらい、更に晩酌で秋田県産焼酎ソフトのお湯割りに5,6粒入れて飲食してしまいました。明朝フサフサの髪が生えてくるかもね?。

2012年5月7日月曜日

今夜の御馳走

春たけなわ、我が家の夕食です。上左がジョーズ(油鮫)のぬた、中央がたらの芽、右端がジョーズのショーガ醤油の煮付け、下左は白米、右は三つ葉の味噌汁、その右はアンコウの共会えです
最後に鮫のヌタのレシピです。油鮫を解体します、まず鰭をとります、次に首の廻りに丸く切り込みを入れ、尻尾に向けて数本切り込みを入れ、力まかせに皮をむきます、後は普通に魚の解体。骨を取り、一口サイズに切り、酢に一時間以上漬けてから身を絞り、酢、味噌、砂糖適量と和える。
材料は父~ちゃん、調理は母~ちゃん。今日は飲みすぎに注意です。



タイヤの付いた運搬船

大間マグロを築地まで運ぶ船ですが、何故か車が付いています。大間漁協所有の純情丸で御座います。
これまで大変な数のマグロを築地へ運びました。2000万のマグロも5000万のマグロも、1万円のマグロも運びました。どれか一口誰かの口に入っていると思います。が何故か産地で食べるマグロが美味しいと、観光に来た皆さんが言うのは、空気がマグロの調味料になるのでは?

2012年5月6日日曜日

春の例大祭

むつ市斗南ヶ丘にある妙見神社で春の例大祭がありました。明治3年会津藩士が移住し不毛の大地と格闘した所です。経済的にも困窮を極め、唯一心の拠り所として、参拝したところです。5月5日11時より厳かに神事が執り行われ、玉串を頂きました。
神事の後の直来がすごいんで御座います。
酒が進むほどに、地区の皆様方の歌と踊りが休憩も無く続きます。其の度ごとに餞(はな)
=お金があがります。
気持は青春、身体は老春であります。他人事ですが次の日、足腰大丈夫かな~

2012年5月5日土曜日

水芭蕉

大間町の農道際より、凡そ200メートル長さで水芭蕉の大群生地があります。花言葉は知りませんが、この真っ白い大きな純粋無垢な花を見ていると、世の中の嫌なこと等、一瞬忘れてしまいます。嘘だと言う方は是非一度御覧あれ。当地の見ごろは連休一週間前位かな~

交流会

5月4日仙台、東京方面在住の戊辰戦争研究会のメンバーが10名で、本州最北端にある私経営の資料館までやって来ました。隊長は遊軍寄合組隊長の小池氏。小池氏の呼び掛けで大雨注意報も無視!
特別、会津、斗南の歴史に熱い人達です。其れもその筈です、その半分の方々は会津藩士の子孫になります。さらにそのうち3名の方々の先祖は明治3年私達と同じ斗南藩士として、下北へ来ていたのです。話はそれで終わる訳にはいきません、小池氏等の希望で是非、斗南会津会のメンバーと懇親会を、と言うことで、さらに場所をむつ市へ移し、総勢17名の大宴会になりました。
会津へ同じ想いを持つ者同士の会話は、時間がいくらあっても足りません。全員兄弟、親類のようなものです。歌謡下北哀史を聞き、全員涙を堪えましたが私はダメでした。これを機に仙台場所か
東京場所もとの声がでました。本当に又会いたいです。

2012年5月2日水曜日

秘密の場所

天然の山わさびが当家から徒歩10分位の所に密集しています。誰も植えた訳でもないのに種が自然に飛んで来て繁殖したものと、勝手に解釈していますが、あまりにも民家の近くなので、誰も山奥に在る筈のものが、目と鼻の先に在るとは想像もつかないのかも?お陰様で私は毎年5月1日には、一人で静かに、こっそりと、山葵を採りに行ける訳であります。この可憐な真っ白い花を見て
心を癒していますが、食の誘惑には勝てません。
わさび、は何と言っても酒粕合いがよろしい!!
一つまみする事に禿頭のてっぺんから汗がジワーと出てくる感触が何ともいえない。
又花の天麩羅も良し。更に蕗のとうの味噌合えとアザミの味噌汁に弁天島の寒海苔をふって
頂けば最高。スーパーへ買い物に行く必要なし。スーパーさん、ごめんなさい。

2012年5月1日火曜日

平成24年大間町の観閲式

4月28日、メッタニ無い快晴無風の日和に恵まれ、大間町の消防団観閲式が挙行されました。
早朝5時に消防署のサイレンが町中に鳴り響きました。例により当家のかーちゃんは火事と勘違い、大騒ぎで御座います。
纏組(火消しの軽業師軍団)の逞しい連中です。いざとなれば、カワイイかーちゃんも忘れて現場に駆け付ける、命知らずの若者達です。
大湊海上自衛隊音楽隊の行進で雰囲気が最高潮に盛り上がります。
女子団員の歩調の乱れも、なんのその、緊張が第一です。
此の素晴らしい行進を見る限り、天災地変も怖くない、消防団ガンバッテー。