2012年8月29日水曜日

斗南藩士住居跡

去る26日むつ市内での斗南会津会の役員会の後、会員の甲羽さんの案内で、自分の持ち山の中に斗南藩士の居住地らしき痕跡があるとの事で、私と太田、山本、小町屋がのこのこ付いて探索に出掛けました。気温30度以上、むつ市の斗南藩士居住の管理地敷地から、更に200mも離れた、鬱蒼とした杉林の中に、それはありました。下北(当時北郡)の田名部の丘陵地帯で、痩せた火山灰の不毛の地でしたが、会津から移住した先人達は斗南ヶ丘と命名し、200戸余りが、この地へ移り住みました。藩で建築した長屋造りの家屋でしたが、1区画100坪位だったと言われています。一番丁から五番丁まで区割りされ、入口には大きな門が在り、馬の乗り入れは禁止されていました。堀井戸も十八個あったと言われています。
これはむつ市で、以前に発見した井戸ですが、私達は更に100mも奥の方で、いままで確認されていない井戸跡を発見し、一同呆然と、無言の時が流れました。
区画の土手跡、上の土手は脈々と続き高さ、高い処で1m、下は土手幅1,2mあります。
会津からこの地へ移住した先人達の143年の歴史を目の当たりにしました。刀しか持った事のない会津のもののふ(武士)達の心を想う時、合掌せずにはいられません。

2012年8月15日水曜日

ブルーマリンフェスティバル

大間の夏を送る最大のイベントです。町主体で各団体、会社、個人事業主が一丸となって盛り上がります。朝から船競争、歌謡ショー、まぐろ解体ショー、ヨサコイソーラン、夜は秋田大曲の花火師に因る花火ショー。まぐろの無料提供にはなが~い行列が出来ます。夜の花火は、半袖にビールでは寒かった。秋は目の前です。

オ~イどこさいぐんだ~、ゴールと反対だ~。舵の無い船だから呼吸が合わないと、とんでもない方向へ行ってしまいます。
いよいよ花火開始間近、場所取りも大変な位、大間の人口、こんなにあったかな?

お盆

お盆に墓参り、寺参りは全国共通の習わしですが、大間のお盆はちょっと違います。13日から
16日まで午前と午後1日2回づつお参りします。更に夜の部は墓前で盛大に花火をやるのです。
青森から来た孫と仲良しになりました。
右隣も当家の墓石ですが、今から30年昔、不思議な事がありました。雨上がりの後、墓参して
家族全員で花火をしていると、その右隣の墓石の角が青白く燃えだし、割り箸で消そうとしても
なかなか消えませんでした。今でもその跡が10㎝位えぐられた形で残っています。

2012年8月14日火曜日

平成24年大間稲荷神社例大祭

愈々待ちに待ったお祭り到来。8月8日宵宮祭、9日より町内を2泊3日で運行します。お祭りを祝うかのような夕日が素晴らしい。

最終日4車別れの時、人々へ振る舞う御神酒。
拝殿中央左が御神酒山の神様、酒が大好きで一年中赤い顔をしています。演歌も好きです。
4車神社前へ集合、拝殿の祈祷が終わるまで待ちます。



昨年に続き今年も、まぐろ漁師、山崎邸での小休止
さすがマグロ釣りの孫が書いた、お習字。

最終日最北端の弁天神社を出発。最後は4車別れ、来年の再会を約して、乱舞します。



2012年8月7日火曜日

不許他見其の15

これは木村幸蔵(会津藩士小役人)の戊辰戦争の記録です。
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1、同月21日地蔵堂戦場へ小林恒五郎と交代の為罷り越し候筈の処、起里再発難義致し候旨
  清介義替わりとして罷り越し呉候義に之有り
1、同月二十五日右兵衛殿三条表へお越し、それより御戻り懸け酒屋御陣屋へ御止宿に相成り
  警衛の者、寄合組、若手の者二十人御用属、平野九郎右門、夜九ツ時過ぎ着、然る処、水原
  表より吉岡武橘,関場松二郎、早打ちにて罷り越し候には新潟表、軍船数艘着の趣き申しきた
  り候にて、二六日明け六ツ時頃、中早にて水原表へ御帰に相成り候事。
1、二十六日夜中九ツ時頃より、新潟表大砲の音相響き、米藩人出張の処、官軍上陸の上沼乗
  より発砲、大戦争に相成り候処、翌二十七日朝水原表に相当り火の手相見え候に付いては
  容易ならず形勢と相成り、酒屋御陣屋諸役々残らず立退、角瀬須村より新津へ相懸り、御
  新領蒲原郡大関村において昼、それより同郡一本杉村へ一泊、馬下村へ相懸り草水村へ
  引き揚げ候へば、水原詰右兵衛殿始め役々並びに御人数等同所まで引き揚げ、赤坂山胸壁
  築立に付き酒屋詰役々の義残らず石間村迄引き揚げ、人足才判等精々取り計らい夜中の義
  馬下、小松両村渡し場番兵仰せ付けられ相勤め罷り在り候処、八月朔日赤坂山へ官軍襲来
  り、同処乗っ取られ候につき石間村へ残らず引き揚げに相成り候処、役場内の者共、土工兵
  一同寶正山岸損キへ罷り出候様、仰せ付けられ出兵致し候。
  

2012年8月4日土曜日

真夏の香り

本州最北端の磯の岩場に繁茂する、力強い果実達です。子供「小学生」の頃とことこ30分も歩いてこのナマナスの実と木苺を食べた記憶がありました。60年もすぎた現在も同じ形で、同じ処に実を結んでいます。
ハマナスの実は歯で皮を割り中の種を取り出します。後は全部カミカミ。但し食べすぎると口の
廻りが痒くなります。木苺は更に美味しい、食べだしたら止まらない。なぜ現代でもあの当時のあま酸っぱい遠い過去の味が残っているのでしょうか?2,3粒つまんでみました。60年昔にタイムスリップして感じました。当時日本は第二次世界大戦後で食糧難の時代でした?然東京に住んでいる孫は小学校低学年の時、此の苺を食べていて、現在大学生になっても又大間に行って木苺を食べたいと言っております。恵まれた現代の若者達はもう少し、野生化しても良いのでは?
旧人類より。

2012年8月2日木曜日

船競争

毎年8月14日は大間漁港を舞台にブルーマリンフェスティバルが開催されます。陸上では歌手を招いての歌謡ショー、よさこいソーラン、まぐろ解体ショー、その他もろもろ。海上では船競争、夜は花火大会と大間の夏の最後を惜しむ大イベントです。特に船競争は漁業の町らしく、伝統的に大昔から行われて来ました。更に賞金「大金」がでるため、出場選手も必死です。今日も当家の裏海で夕方猛練習が始まりました。
日本一の夕日なのに、風のいたずらで、一瞬ラ~メンが写ってしまいました。

いよいよ祭りまであと6日

昨夜8月1日PM7 時より仁和賀山の祭りに向けての最後の定例会を我が家で開催しました。一年中祭りが頭から離れない連中の集まりです。が今年は高齢化の影響で仲間内の家庭で不幸があり、3人も参加出来ない為、1人二役の役割分担になりそうです。大変な重労働になりますが、不平を洩らす者は一人もいないのは、さすがに祭りバカと言われても仕方ないかもね!
昨日は連日の猛暑に負けない為、逆療法で、にんにくたっぷりのマトンの熱々しゃぶしゃぶでした。
3、5キログラムのマトンが綺麗に消えてしまいました。冷蔵庫でギンギンに冷やした純米酒のせいかなー。