2012年9月27日木曜日

会津墓参

昨年は東日本大震災の犠牲者、被害者の為、喪に服し、現地での会食等の有る旅行は控えましたが、今年は気持を一新し、先祖の故郷、会津へ熱い想いを持つ、斗南会津会の有志21名が30日より二泊三日で会津墓参に出かけます。私は毎年のように参加しておりますが、会津藩の基礎を築いた保科正之の眠る土津神社と歴代藩主の眠る御廟、と飯盛山は、欠かさず参拝してきます
が、昨年は松平13代当主だった保定氏の納骨祭の為、会津入りしたのですが、原子力発電所事故の風評被害のためか、観光客は本当にまばらで、此処が会津か?と思うくらいでした。
風評と言う言葉は本当に恐ろしい言葉だと感じてきました。義に殉じた白虎隊は、明治以後の戦争のたびに、日本人の士気高揚の材料として、宣伝されて来た?のに。日本中の人々は、今一度
会津へ目を向けても良いと思う。

2012年9月22日土曜日

歴史秘話ヒストリア、山川捨松、再放送

19日放送のあった歴史秘話ヒストリアが9月26日(水曜)PM4:05分よりNHK総合で再放送になるそうです。
小生もちょこっと、イイ男にちょこっと、映ります。恥ずかしながら、斗南の為に頑張っています。

2012年9月17日月曜日

9月19日歴史ヒストリア

NHKが大山捨松のドラマをやります。ストリーの内容は全く分からないけど、捨松(戊辰戦争の頃の幼名は、さき)は戊辰戦争後、兄山川浩の知人で、函館在住のフランス人の家庭へ引き取られたと言われています。その時、さきも浩や母と一緒に斗南へ来たのでしょうか?その辺のの記録が残っていれば良いのですが、山川浩の母も斗南へ来て、容大公の日常の世話をしていますので、さき、も大間から漁船で函館へ渡った可能性もあるかも?其の後北海道開拓使の次官、黒田清隆の留学生募集により、日本で最初の5人の女性留学生の一人に選ばれ、岩倉使節団に随行してアメリカへ渡りました。10年間の留学後、日本へ帰った捨松は、西洋の文化を身につけ
語学は堪能、当時東京に出来た鹿鳴館の花でした。大山巌との恋も、鹿鳴館で生まれたようです
兄山川浩は斗南藩大参事だった事から、
大間に在る私の会津斗南藩資料館(向陽處)の事も、ちょっと放映されるみたいです?
幕末のジャンヌダルク、山本八重子が大山巌隊へ銃を乱射したシーンはあるのかなー?
興味のある方は10時から一緒にテレビを見ましょう。

2012年9月16日日曜日

白虎士中二番隊、斗南へ到着

会津高校二年生約290名が14日、むつ市へ到着、私達斗南会津会一同の出迎えを受け、直ちに会場へ、私は山本さん(会津藩次席家老、内藤介右衛門の関係者)と太田さん(飯盛山で腹を切った、白虎隊の石山寅之助の関係者)更に渡部さん、吉川さん、遠嶋さん、小島さん(共に斗南藩士の末裔)の鋭い監視のもと、40分に渡り、斗南藩の話をさせられました。馴れてないので、下手な説明を聞いた生徒さんは、さぞ、お疲れだったと思います。
其の後、引率の先生方も含め全員で昼食、壮観です。孫達との食事は最高。
其の後バス7台に分乗し、一路、斗南ヶ丘の斗南藩士の墓地へ急行、墓地は斗南ヶ丘町内会の皆さんの協力で綺麗に整備されていました。更に町内会の皆さんで、バスの誘導まで、やってもらい、感謝感激です。献花焼香後、愈々会津高校剣舞会の皆さん8名による、白虎隊士慰霊の舞が始まりました。

勇気凛凛戦場へ向かう隊士の姿が想像され、現場を参観した古老の目に涙が一筋。

2012年9月9日日曜日

不許他見其の16

これは木村幸蔵、会津藩士公事所小役人の戊辰戦争の記録です。
1、同日夜中三月沢口、村松様、御引き揚げ御通行ニ付き長谷村へ出張仰せつけられ、同役
  良介並びに御蔵入取り立て役長沢庄助一同出張致し、然る処三月峠切迫致し、越国出兵の
  御人数追々引き揚げニ相成り候に付いては、同処方面、取賄い兵糧方仰せ付けられ、追々
  鈴木運治、庄司力之進、伊藤量太郎、出張致し候ニ付き五十嶋村、三月沢御関所と相分かれ
  兵糧運転は勿論、人足数百人諸品運送方、精々取り計らい罷り在り候うち、石間村、戦争相
  始まり同処切迫、且又赤谷口、乗っ取られ同月十六日角嶋村まで、討入られ候に付き、陣将
  始め諸隊追々津川方へ引き揚げに付き、谷沢村へ引き揚げ候処、益々切迫致し候ニ付き同
  所引き揚げ津川町へ罷り出候ところ、尚又谷沢村へ出張、御勘定所一同、兵糧方御用仰せつ
  けられ候に付き、尚又同処迄、罷り越し候処、御用済みに付き、津川町へ相戻り候処、同二十
  日、長岡藩御人数、西村々出張相成り候に付き、右の兵糧方、仰せ付けられ候ニ付き、村井、
  中川、山口、鈴木、同心佐竹、退助、良介一同罷り越し、取賄罷り在り候処、御用済みに付き
  尚又津川に戻り、常次郎方、下宿罷り在り候処、同二十三日若松表へ官軍乗り込み候旨
  注進も之あり、右兵衛殿御登りに付き御新領役々残らず、付き添い仰せ付けられ二十四日
  夜中同処出立、野村へ一泊、野沢村へ一泊同処より早打にて下野尻村御陣将方へ御用状
  持参それより夜に入り塔寺村へ着の処、若松表の方、大砲の音頻りに致し、気ももめ、何とも
  致すべく様これ無き形勢に相成り、然る処、右兵衛殿は坂下村へ御出張、村井、赤塚一同
  舟門村方面往返し、御人数炊き出し兵糧方仰せ付けられ候ニ付き、塔寺村へ居残り炊き出し
  精々取計御用済みに付き、同月晦日坂下村右兵衛殿御本陣へ罷り出、尚又御付き添い罷り
  在り候内、舟渡方面へ廻しに相成り候。






2012年9月5日水曜日

八重の桜

来春放映予定のNHK大河ドラマ八重の桜の主人公、山本八重子さんは、斗南へ来たか?記録が見つかりませんが、前夫川崎尚之介は斗南に来たと言う人もいます。離婚後、同志社大学の学長をやった新島譲と結婚するのですが、彼女の兄は山本覚馬であり、会津藩の砲術師範でしたので、彼女の銃の腕は、確かなものがありました。会津藩が籠城した一ヶ月間、彼女は男装し、銃で敵と戦いましたが、その時銃を乱射していた敵の隊が、薩摩の大山巌隊でした。斗南藩大参事山川浩の妹捨松はそのご、大山厳の妻に成りました。何故薩摩と会津が仲直りしたのでしょうか?男と女の関係は戊辰戦争とは違う様ですね。この件に関しては山川浩も、さすがに参ったようです。このドラマを記念して、辛口純米酒、八重の桜が発売されました。四合瓶¥1000です。

白虎隊の修学旅行

9月14日会津の若松高校がバス7台で下北へ修学旅行でむつ市へ途中下車するそうです。私達会津藩士の子孫達は、涙が出る程うれしい^^~~。熱烈歓迎!!!
145年の歳月が0に戻った気分です。7台のうちバス3台の生徒さんが、斗南探索を希望し私達斗南会津会の御老隊が道先をやることになりました。先年まで修学旅行は京都方面が主流だったようですが、今年は会津藩士の第二の故郷斗南へ舵をとってくれました。斗南で没した藩士達も不毛の台地で手を叩いていることでしょう。義に殉じた白虎隊士と、同じ年齢の若者達が、斗南を訪問し、少しでも、教科書に無い、戊辰戦争後の会津、斗南藩の歴史を吸収し、後世に伝える事を期待します。若し120人の生徒が全て歴史の道を選んでもらえたら?日本国はもっと良くなる事は間違い無し!!福島、会津ガンバレー!今晩は興奮ぎみ、会津の酒、斗南藩を一気飲みで~す。