これは木村幸蔵、会津藩士公事所小役人の戊辰戦争の記録です。
1、同日夜中三月沢口、村松様、御引き揚げ御通行ニ付き長谷村へ出張仰せつけられ、同役
良介並びに御蔵入取り立て役長沢庄助一同出張致し、然る処三月峠切迫致し、越国出兵の
御人数追々引き揚げニ相成り候に付いては、同処方面、取賄い兵糧方仰せ付けられ、追々
鈴木運治、庄司力之進、伊藤量太郎、出張致し候ニ付き五十嶋村、三月沢御関所と相分かれ
兵糧運転は勿論、人足数百人諸品運送方、精々取り計らい罷り在り候うち、石間村、戦争相
始まり同処切迫、且又赤谷口、乗っ取られ同月十六日角嶋村まで、討入られ候に付き、陣将
始め諸隊追々津川方へ引き揚げに付き、谷沢村へ引き揚げ候処、益々切迫致し候ニ付き同
所引き揚げ津川町へ罷り出候ところ、尚又谷沢村へ出張、御勘定所一同、兵糧方御用仰せつ
けられ候に付き、尚又同処迄、罷り越し候処、御用済みに付き、津川町へ相戻り候処、同二十
日、長岡藩御人数、西村々出張相成り候に付き、右の兵糧方、仰せ付けられ候ニ付き、村井、
中川、山口、鈴木、同心佐竹、退助、良介一同罷り越し、取賄罷り在り候処、御用済みに付き
尚又津川に戻り、常次郎方、下宿罷り在り候処、同二十三日若松表へ官軍乗り込み候旨
注進も之あり、右兵衛殿御登りに付き御新領役々残らず、付き添い仰せ付けられ二十四日
夜中同処出立、野村へ一泊、野沢村へ一泊同処より早打にて下野尻村御陣将方へ御用状
持参それより夜に入り塔寺村へ着の処、若松表の方、大砲の音頻りに致し、気ももめ、何とも
致すべく様これ無き形勢に相成り、然る処、右兵衛殿は坂下村へ御出張、村井、赤塚一同
舟門村方面往返し、御人数炊き出し兵糧方仰せ付けられ候ニ付き、塔寺村へ居残り炊き出し
精々取計御用済みに付き、同月晦日坂下村右兵衛殿御本陣へ罷り出、尚又御付き添い罷り
在り候内、舟渡方面へ廻しに相成り候。
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