2012年3月25日日曜日

㊙不許他言

昨日かねて約束どうり、むつ市M宅へ夕七ツ時K,Y、O,Sの斗南会津会の御聞番(おんみつ)が参集しました。年のころは六十代~七十代の若者達です。その他二名はどうしても都合がつかないため、欠席しましたが、そのため彼等の録は没収になります。M氏の栽培したすばらしいネギが食べられないのは残念です。会合の中身は、㊙ですが、このブログを見た方だけに、こっそりお話しします。
明日25日は東京会津会の100年祭になりますが、斗南会津会の歴史もかなり古い。只会の歴史を一貫して著述したものが無い為、3年後斗南藩立藩145周年に向けて、それをやろうと考えた、烏合の衆です。斗南藩立藩150年祭まで待てない理由は御推測願います(年はとりたくない)、折角の発案が挫折する可能性もあるからです。そんなわけで㊙会合はのりにのり、ついに、親孝行道りのスナックへ繰り出し、純米酒斗南藩を数本やっつけて参りました。かーちゃん反省です。

2012年3月22日木曜日

会津城下絵図

当資料館に展示中のものです。作成された時期は嘉永年間だと思います。当家の曽祖父は廃藩置県の時下北に残りましたが、その時上司から永久保管を依頼されたものと考えます。この様なものは多分、落城前に密かに持ち出されたものと考えております。
上図黄色い部分が藩士の住宅、赤はお寺、ピンク色は平民の住宅街、堀の中は百五十石以上の藩士と家老の住宅街で、中央に天守閣があります。

2012年3月17日土曜日

平成24年斗南会津会新粉寒蕎麦会(しんこさむそばかい)の反省会

3月15日、斗南会津会役員、太田宅に於いて、蕎麦会の反省会がありました。今回も遅刻せずに出席しました?飲み会だけは。此の度の蕎麦会も前年に負けつ劣らず80名の参加があり、会員と
斗南藩の歴史を愛する同志達の深い絆が結ばれました。今後の会の活動の原動力として、おおいに期待できるものと考えます。今回の反省会で、更に重臣の皆様方の堅い約束が確認された事は
何よりの宝でした。骨酒と雉出汁の斗南ヶ丘の蕎麦と美女のお酌です。

2012年3月12日月曜日

不許他見(秘書)その10

これは木村幸蔵(会津藩士公事所小役人)の戊辰戦争の記録です。
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1、同月二十日頃、魚沼郡三国峠へ町野源之助出張罷り在り候処へ、官軍襲来、戦争相始まり
  候旨注進之在り、同二十七日海岸鯨波宿又小出嶋御陣屋へ襲い来たり、戦争味方敗走の由
  にて井深隊、町野殿始め八十里越、ようよう引き揚げ之由、鯨波之義は桑藩にて打ち合い、
  此の節ハ大勝利、分取等も有之哉ニ候処、応援之兵も無之、追々出雲崎辺り迄引き揚げ候由
  殿様之義ハ柏崎御立退か茂、夫より水原表へ御壱泊、夫より御領分草水村寺へ御逗留、それ
  より津川町へ御越ニ相成候。
1、同月二十七日頃、佐川官兵衛殿隊、土屋隊、市岡隊、小千谷方面へ出起ニ相成候。
1、五月二日右隊、片貝表ニおいて戦争敗北之由
1、水原表へハ西郷勇左衛門殿陣将兼一嶋屋敷、下宿被致候事。

2012年3月9日金曜日

宮内庁御用達の品

昨夜いつもの飲み友、山車の仲間が二人、おおー寒々(さむさむ)今日は熱燗でいこうと、招待無しに御来席になりました。御鄭重な、おもてなしは、いつもの事、たまたま、戴き物のしゃぶしゃぶ用の鴨肉が前日の半分残っていたのを三人で食することとなりました。田舎者の我々は、牛やラムのシャブシャブは日常的ですが、鴨のシャブシャブは初体験です。味?三人共言葉になりません。天国で食事でもしている様な気分です。あまりの美味しさに、女房に出所を聞いたところ、秘密だそうです。
但し値段だけ教えてもらいました。量的には大間まぐろ、ひとさく(中トロ¥4000)位かな~
¥15000位だそうです。びっくり仰天、一瞬箸が時を忘れた様に止まりましたが、その後は三人で静かに、おしとやかに、土鍋の汁、一滴残らず、いただきました。さすがに、宮内庁お届けの品はすごい!只どうして我が家にその様なものが届いたのか、それが不思議?