2013年9月25日水曜日

会津藩公行列2013

9月23日斗南藩より総勢7名が本丸へ終結、出陣式に参加した。前日22日は家族を含めプラザホテルにおいて、子孫会のメンバー80名で結団式が盛大に執り行われました。子孫会の発起人でもある、小池氏の鬨の声、エイエイオー、エイエイオー、エイエイオーで、雰囲気は最高潮に達した。義に死すとも、不義には生きず、だったかな?ちょっとお酒も入り、よれよれ気味だったが、ご機嫌ご機嫌!早くお休みにならないと、明日が大変だと言っているのに、何?2時ですか?繁次郎の子孫はさすがだ!!
佐川官兵衛と肩を並べる。翌日天は、我々に味方した、素晴らしい晴天の下、容保公以下600名の家臣が出陣した。我々子孫隊は30名だったが、沿道の市民、観光の皆様から、お帰りなさい~、がんばって~の声援を頂き、熱い涙が止まらなかった。今回子孫隊唯一の美女、斗南藩小参事、広沢安任のひ孫、前川佳菜子氏の颯爽たる歩き姿のスバラシサには感動した。又私のすぐ後ろを歩いたのは、あの時、奥羽は皆敵だと、ホザイタ人物の首を刎ねた、勇気ある人物の子孫でした。会津藩公行列はスバラシイ。震災を救う希望の星だ。八重さんの宣伝効果はすごかったと思う。更に全国の皆様に、会津を愛して頂き、今後的に姉妹都市でもある会津若松市とむつ市の絆がより深くなる事を望みたい。
八重さんも145年前の出来事をじ~と見てました。

この人だ~れ
 
 
右が斗南藩参謀、菊池氏、その隣斗南藩史生木村重考のひ孫、その隣が広沢安任のひ孫、佳菜子さん。
左端が白虎隊士、石山虎之助本人???かなり近い人です。

2013年9月12日木曜日

女房と同じ位?永い御付き合い

朝昼晩365日×43年間、唇と唇を合わせて来た恋人を紹介します。私達夫婦がまだ若くて大変貧乏だった20代の後半、東京、井之頭線、永福町に住んでいたとき、駅前の小さな瀬戸物屋さんで女房が買ってきた、寿司湯呑を現在も現役で使用しております。丁度長男が永福町の産婦人科病院で生まれて43年になりました。物持ちが良いと言われればそれまでだが、これも斗南の生活の置き土産なのかも?

2013年9月3日火曜日

斗南ヶ丘の蕎麦

戊辰戦争が終わり、今から143年前会津から、陸奥の地(青森県)へ移住してきた会津藩士とその家族の内
200世帯が、不毛の大地と言われた、この田名部の原野へ農業授産の為、入植したが、慣れない
農作業は武士の集団にとっては、言葉では表現できない程の苦痛だったに違いない。その先人達が開墾したであろう農地を当斗南会津会の某女史が数町歩所有している。今回某女史の御好意により、無償で一反(300坪)ほど当会へ貸してもらった。早速会の有志で相談の結果、毎年2月に開催している、蕎麦会の蕎麦を蒔く事になり、斗南ヶ丘に居を置く田中理事が単独で耕耘機で荒地を見事な畑地に変えてくれた。7月28日有志の協力のもと、種蒔きが行われたが、小生は参加出来なかった、ごめん!!一か月たった30日、気になって様子を見に行って驚いた。
背丈が80センチ位、真っ白い花で埋め尽くされていました。このぶんだと数百人は大丈夫かな?
2月の蕎麦会が楽しみです。是非御参加を!