2013年11月24日日曜日

大間美人

このブログをご覧の人は100%一億五千万の大間マグロの事は御存知の事と思う。他に2000万も5000万も有るけど。
然し大間美人のブランドはまだまだ日本国民に知られていない。美人に値段を付ける訳にはいかないけど、大間には値段の付けようもない、見たら鳥肌たつような超美人さんが、下駄を投げれば当たる程いる、??
私も若い頃から各地を歩いてきたけど、こんな町に生まれた事が嬉しく、誇りに思う。
常々不思議には思ってきたけど、この町の歴史をたどってみると、頷(うなず)けるものがある。それは当町には四十八館(しじゅうやたて)と言うアイヌの集落があったことから、マユ、とマツゲのはっきり黒い人が多く、更に目の色がブルーグレーの美人が多い事。私は郷土史家ではないので、想像でしかないけど、ブルー系はロシア系の人が遭難してこの町に住みつき、アイヌ系の人との混血になったのかな~~。良くわかりません。独身の男性は一度大間へ来るべし!!

2013年11月12日火曜日

ニシン御殿

一昨日我が大間、仁和賀山連中面々6名が山車の囃しのル~ツを訪ね、蝦夷地へ渡った。11月初旬季節の替わり目、決まって来る暴風の合間をぬって、当初予定の一番船は欠航の為2番船で出発し、亮の嫁さんのじ~じが経営する温泉旅館へ直行した。
函館からレンタカーで1時間、知内の温泉へ到着、ゆっくり温泉へ浸る間もなく、夕食とは名ばかり、一杯が二杯~~~
この後、お決まりの二次会コース、運転手はナント?ホテルのオーナー80過ぎのスーパーマン、北海道には貸切ロードなるものが、あるらしい?静かな深夜の貸切ロードは最高、最高。
翌朝一路、上ノ国町へ、上ノ国には女房の生まれた笹浪家の別家の近くに本家、屋号ホシヤマニがあり、往時の鰊御殿のたたずまいを残している。現在は国の重要文化財に指定されています。
鰊の最盛期は本州からのヤンシュウを数十人もかかえ、松前藩の御用商人として、名字帯刀も許されていました。当時の様子を再現した模型が下図です。
建物内の様子、かまどの傍には井戸があります。
仏間には金箔の巨大な仏壇が鎮座します。
ここより四五軒先に女房の生まれた別家がありますが、家を建て替えの時擦文人の骨が出土しています。その後江差へ移動、御所望の江差の祭り山車を拝見しました。
す  ば  ら  し  いーーーーーーです。
然しこの後がすごい、暴風の為フェリー欠航に付約300キロ逆走して大間に帰りました。

2013年10月27日日曜日

会津会総会

2013,10,26、上野精養軒に於いて平成25年度の総会が執り行われました。名誉会員の松平14代当主、松平保久氏をお迎えし総勢182名の会津魂達が、全国より集結しました。台風27号の東京接近が心配されていましたが、流石に台風も会津のオーラには敵わず、遠のきました。
前会長川島氏、御逝去の後、新会長、郡 荘一郎氏をお迎えし、和やかな中に総会は進行しました。開会の辞、会長挨拶、事業報告、収支決算報告、叙勲者、敬老杯の贈呈、新入会員、来賓の紹介、来賓挨拶は14代殿様、祝電披露で総会は終了。
小休止後ボニージャックスのコンサートが始まり、一同しばし、なつかしのメロデーと美声に酔いしれました。その後、だいぶ喉が乾いた頃いよいよ懇親会が始まり、美味しい御馳走とお酒が出てきたのですが、久し振りにお会いした方との会話や名刺交換に時間をとられ、本当はほろ酔い機嫌で盆踊りを踊りたかったのですが?ビールをコップ2杯飲んだ頃、新幹線に遅れるぞと、腕を引っ張られ、すごすご帰宅の途につきました。
郡 会長の御挨拶
(私)お~い美恵さん、やってるか~
回答ーーーやってるわよ~。只今12杯目です~~~
ボニージャックスの面々、美声はあまり変わらないけど、風貌だけは変わったな~
右端リーダー格の西脇氏で隣がひかくてき新人、他の3人は旧人。帰りにCD買って帰るつもりが
新幹線の時間の関係で購入しないできました。ごめんなさい。むつ市でも買えるなら、購入したいのでCDの名称おしえてください。
斗南の親友です。今回の総会に斗南より10名の参加になりました。

2013年10月24日木曜日

大奥村(現在の大間町)初代戸長(村長)

斗南藩は明治4年7月14日発布の廃藩置県により、斗南県~弘前県~青森県と短期間に名称が変わっていった。藩士達は同時に商工人、教育者、政財界、警官、軍人、漁業、農業、そして北海道開拓使等全国へ離散して行ったが、米も獲れない不毛の下北に活路を求めた、勤皇の志士達もいた。この度の会津藩公行列参加で、先祖が同じ斗南で死線を彷徨った同志の子孫で、北海道から参加した三澤氏との会話から、友人の先祖の話が飛び出してきて、唖然とした。なんと友人の先祖は私も消息を探し求めていた大奥村の初代戸長、田中元長でした。二代目は私の曽祖父、木村重孝、三代目は高畑熊三郎と三代続けて会津で繋がっています。私は明日25日台風へ向かって東京へ出向き、松平14代当主保久氏と一緒に食事会に参加しますので、最高の土産話ができるものと思っています。140年前の歴史が現実として、蘇るようで、胸が一杯で一人でも多くの人達に報告したくなり、眠気を我慢で書いてます。目の前のビンに熊本の米焼酎、大石と書かれているようにも見えます。おやすみなさい。

2013年10月10日木曜日

はばきぬぎ

先月22,23、24日、二泊三日で藩公行列、子孫隊として会津入りしてきたが、下北へ帰ってから昨日迄、各自の都合もあり反省会が遅れ遅れになっておりましたが、昨日当斗南会津会の顧問でもあり、今回斗南会津会から子孫隊斗南藩参謀として会津入りした、菊池氏の自宅の11階において、むつ市を眼下に、(はばきぬぎ)が執り行われました。こうして見ると、斗南藩の置かれた田名部の夜景もなかなかです。本当は釜臥山のてっぺんから、見ると、むつ市の夜景はネオンのアゲハチョウに見えると言われていますが、小生のデジカメでは無理かも!!然しこれもアゲハの一部です。
函館市の夜景も数回見ているけど、むつ市の夜景を見ていると、数え年3歳の容大,容大を迎えにきた父容保、、梶原平馬、内藤介右衛門信節、私の祖父や曾祖父、安任、斗南藩大参事山川浩、妹のサキ、柴五朗、兄の五三郎、太一郎、八重の先夫、川崎尚之助、中野竹子の妹優子の墓。そして呑香稲荷、や上陸の地、200世帯も入植した斗南ヶ丘の戦士等の幻影が走馬灯のように、静かに流れては消えて往きます。斗南を旅する方には、最高にお勧めのホテルです。

上は、はばきぬぎに出された大間産7,8キロの油のノッタ、オトコブリ、1Kg¥300じゃ安すぎる、食べる方は良いけど、漁師は泣いてるぞ!!このブリ、日本海へ南下すると、寒が付いて数万円にもなるとか、聞いた事あるけど、ほんとかな~~~~~~~~~~。今朝のことですがこの高級魚のカマの塩焼き1個ちょっと目をはなした隙に我が家のナンデー(プードル)にやられちゃいました。はばきぬぎ知らない人のためにーーーー昔長旅の後に脚絆を脱いでくつろいだ事から転じて反省会になりました。

2013年10月9日水曜日

10月2日だったと思う、午前8時頃我が家の2Fから南東の空を見たら、今まで見たこともない不思議な雲が浮かんでいました。一直線に定規で線を引いたような、まるで人工的に、宇宙人が作った作品みたいに、私には見えました。雲の名前は入道雲位しか知らない私ですが、大変興味を惹かれました。今後的に空を見ながら歩く事を心掛けます。お金は拾えなくなりますけど?

2013年9月25日水曜日

会津藩公行列2013

9月23日斗南藩より総勢7名が本丸へ終結、出陣式に参加した。前日22日は家族を含めプラザホテルにおいて、子孫会のメンバー80名で結団式が盛大に執り行われました。子孫会の発起人でもある、小池氏の鬨の声、エイエイオー、エイエイオー、エイエイオーで、雰囲気は最高潮に達した。義に死すとも、不義には生きず、だったかな?ちょっとお酒も入り、よれよれ気味だったが、ご機嫌ご機嫌!早くお休みにならないと、明日が大変だと言っているのに、何?2時ですか?繁次郎の子孫はさすがだ!!
佐川官兵衛と肩を並べる。翌日天は、我々に味方した、素晴らしい晴天の下、容保公以下600名の家臣が出陣した。我々子孫隊は30名だったが、沿道の市民、観光の皆様から、お帰りなさい~、がんばって~の声援を頂き、熱い涙が止まらなかった。今回子孫隊唯一の美女、斗南藩小参事、広沢安任のひ孫、前川佳菜子氏の颯爽たる歩き姿のスバラシサには感動した。又私のすぐ後ろを歩いたのは、あの時、奥羽は皆敵だと、ホザイタ人物の首を刎ねた、勇気ある人物の子孫でした。会津藩公行列はスバラシイ。震災を救う希望の星だ。八重さんの宣伝効果はすごかったと思う。更に全国の皆様に、会津を愛して頂き、今後的に姉妹都市でもある会津若松市とむつ市の絆がより深くなる事を望みたい。
八重さんも145年前の出来事をじ~と見てました。

この人だ~れ
 
 
右が斗南藩参謀、菊池氏、その隣斗南藩史生木村重考のひ孫、その隣が広沢安任のひ孫、佳菜子さん。
左端が白虎隊士、石山虎之助本人???かなり近い人です。

2013年9月12日木曜日

女房と同じ位?永い御付き合い

朝昼晩365日×43年間、唇と唇を合わせて来た恋人を紹介します。私達夫婦がまだ若くて大変貧乏だった20代の後半、東京、井之頭線、永福町に住んでいたとき、駅前の小さな瀬戸物屋さんで女房が買ってきた、寿司湯呑を現在も現役で使用しております。丁度長男が永福町の産婦人科病院で生まれて43年になりました。物持ちが良いと言われればそれまでだが、これも斗南の生活の置き土産なのかも?

2013年9月3日火曜日

斗南ヶ丘の蕎麦

戊辰戦争が終わり、今から143年前会津から、陸奥の地(青森県)へ移住してきた会津藩士とその家族の内
200世帯が、不毛の大地と言われた、この田名部の原野へ農業授産の為、入植したが、慣れない
農作業は武士の集団にとっては、言葉では表現できない程の苦痛だったに違いない。その先人達が開墾したであろう農地を当斗南会津会の某女史が数町歩所有している。今回某女史の御好意により、無償で一反(300坪)ほど当会へ貸してもらった。早速会の有志で相談の結果、毎年2月に開催している、蕎麦会の蕎麦を蒔く事になり、斗南ヶ丘に居を置く田中理事が単独で耕耘機で荒地を見事な畑地に変えてくれた。7月28日有志の協力のもと、種蒔きが行われたが、小生は参加出来なかった、ごめん!!一か月たった30日、気になって様子を見に行って驚いた。
背丈が80センチ位、真っ白い花で埋め尽くされていました。このぶんだと数百人は大丈夫かな?
2月の蕎麦会が楽しみです。是非御参加を!

2013年8月19日月曜日

田名部おしまこ流し踊り

昨日8月18日、下北最大の夏祭り、田名部祭りが始まりました。例年通り田名部おしまこ流し踊りが650人の踊り子で旧町を練り歩きました。当斗南会津会も数年前から、むつ市の方から出場依頼されていましたが、諸々の事情で実行できずにいましたが、この度急遽出場することになり、大忙しの10日間の様子でしたが、約30名どうやら間に合い、出場できました。まずは斗南藩の出陣ご覧あれ。

斗南藩のおしまこ、は超美人揃い、踊りの様もずば抜けて見えました。やはり身内は可愛いのかなー
薩摩人見よや東のますら夫が、さげはく太刀のときか鈍きか     山川 浩
下、斗南会津会前ミスおしまこ

2013大間ブルーマリンフェスティバル

鳥羽一郎、磯船の船競争、よさこいソーラン、まぐろ解体ショウなど色々、好評のようだったが、仕事の関係で、デジカメでの写真は撮れませんでした。
夜の部だけ、ですので御勘弁!それでもデジカメで大曲の花火を撮ったら、写っていた?腕が良いのか、カメラが良いのか?それでもやっと撮れた昼間の一枚です。方角違うよ~
 
孫と長男。やっぱり花火には大間牛の焼き肉と生ビールが最高。

2013大間町稲荷神社例大祭

8月8日風も雨もなく最高の宵宮祭を迎えました。
今年は午後3時頃から特別養護老人ホームへ大黒様をお連れして慰問にいって参りました。
小生年齢からして、驚く筈もないのに、実際現場へ着いてみて、驚きました。同級生もいましたが年下の人達もいて、顔見知りなのに言葉が通じない?然し祭囃子が始まると、皆さんの目に涙が溢れていました。翌日初日9日は雨のためお祭りは中止。然し仁和賀山は挫けない。同級生の友人宅へ住宅改装の屋固めと長男の嫁さんが決まったお祝いに駆けつけ、仁和賀山の、どっとこ(沖あげ音頭)を数回、歌手交代で、大間町始まって以来の出来事だと思います。お陰様で9キロの特大ブリの刺身と大間まぐろ、うまかった~
 
10日、11日と大間の祭りは最高の天気に恵まれましたが、暑かった ~~が、祭りの最終日11日は山車関係者にとって、1年で最高の思い出の日になる。まず、本州最北端から海峡の流れにお神酒を流しその後弁天島にある弁天神社に向かって、どっとこをかけます。
 
最後は4車別れで、見物の人々と樽酒を飲み、 、短い北国の夏を、惜しみながら、各々の町内へ帰っていきます。然し北国の人々の思いのなかで、後数日でストーブが恋しくなる事が4車別れと重なりあい、町民どうしの絆が深まるのかも?