2013年4月27日土曜日

千代さんは白虎隊士、有賀織之助の10歳上のお姉さんでした。


このブログで2回程、青森市奥内にある清岸寺で生まれ育った大間町の阿弥陀寺のおばあちゃんから10年前に聞いた有賀千代の話しを流していたところ、神奈川県在住のゆりさんと言う女性から、私の先祖の事ではないでしょうかとの御手紙を頂きました。それには有賀家の系譜があり、有賀権左衛門の子供の中で、衛士ーちよーさきー織之助―よし、とあり、ちよと織之助は10歳違いの兄弟だったことが分かりました。更にちよさんは昭和3年に青森市奥内の清岸寺の俊亮和尚により、死亡届がだされていたことも書かれており、そこで、いよいよ、雪も消えた、先日4月21日の日曜日、青森居住の息子の案内で清岸寺へ行って来ました。現在の住職は柴田姓から長尾姓に代替わりしていますが、御夫婦とも会津に大変ご理解があり、私が帰った後、過去帳を徹底的に調べ、上げて、遂に有賀千代の名前の確認をして、過去帳の写真もメールで送信して、頂きました。それには柴田廓洞の妻、有賀千代と書かれておりました。戸籍の問題はどうあれ、過去帳は嘘つかないと思う。

2013年4月16日火曜日

こわ~い話

S14、4、14、私の誕生日のお祝いに来ると言っていた和田君から本当に山の中へ電話がきた。バースデーケーキも用意して今晩お邪魔しますとの事。私もそのつもりで骨酒の山女魚を釣っていた、空の模様も晴れから曇り、ポチポチ雨も落ちてきて釣果も10匹位、条件も揃いおおいに大漁が期待出来た。がその時町の消防署のサイレンが鳴りだした。間もなくカーチャンから電話が入り、火事は自宅のすぐそばらしい、消防車もすぐ近くにいるから、大至急帰ってとの事、大急ぎで帰ってきたのに、消防隊員も冷静そのもの。それから30分もして消防の訓練だったことが分かりました。午前中に有線放送で何か言っていたのは知っていましたが、我が家からは、毎回の事ですが音が反響して全く何を言っているのか、確認出来ません。これが若し本物の大津波警報だったらと思うとぞっとします。

オーマの休日

去る4月13日、オーマの海峡荘(斗南会津会のメンバー)に於いて久々に斗南会津会有志による親睦会がありました。14日で74歳になる方?の前夜祭も兼ねて、只々盛り上がりました。
この日の為に私は前日の夕方、骨酒のダシにする岩魚、山女魚を釣りにオーマのキダハシ林道沿いの川へ行って参りました。釣果はマズマズでしたけど、直径10センチ位の熊の足跡も気持ちの良いものじゃない。然し骨酒の魅力には勝てない。なにはともあれ、この料理には圧倒された。
まずは骨酒、3ℓで1200円の安酒が10000円の酒に変身
ウニは弁天島の近くのシンネのウニ、大きいものはハンドボールと同じ位になりますが最近は乱獲の為かこぶりになったが、それでもびっくりします。
ローマと言えばマグロだが今回経営者は腹を切った。なんと!あの霜降りを一人に7切も付いているではないか、びっくり仰天、皆さんデジカメが忙しい。この皿は既に2切食べた後

この他陶板焼きが二点のほか、良く分からないのが三点か四点、だと思う。こんなに沢山出されても食べきれないと、皆さんで話しをしている最中に、ドカン、五〇キロのまぐろの頭が届きました。
もう言うこと無。ドコサヘキサエンサンで若き老人達の脳の活性化を期待したい。下は既にカマの残骸でした。

2013年4月15日月曜日

哀悼

先日斗南会津会NO1として永年に渡り、斗南藩の歴史と会の維持に貢献してきた、奥川氏が永眠しました。会津藩士の末裔として、若松から遠く離れた下北から、毎年のように、20回以上会津墓参に出向きました。昨年も透析をしながらの墓参でした。奥様の介護を受けながら、600キロ以上の距離を往復は、半端な人間では出来ないと思います。然し会津武士も病には勝てなかった、残念、無念の一言です。
カラー写真かと思ったら、娘さんの描いた似顔絵だそうです、素晴らしい。
奥川さん、やすらかに、お休みください。

2013年4月7日日曜日

大函丸二世

大間~函館間のフェリーボートが初めて就航したのが今から50年昔話しです。当時我が家のババチャマが式典で花束の贈呈をした時の写真が出て来ました。大函丸一世誕生の時です。一世が定年退職後、外国の神様の名前でば~ゆと言うフェリーになりましたが、やはり、高齢には勝てない、ついに引退、大間町で25億円かけて建造した大函丸二世が、尾道の造船所で建造され昨日大間港へお目見え、町を挙げて、華やかに式典がありました。全長90m、1985トン、大間~函館間を90分で走るそうです。4月18日より従来どうり一日片道二便の運航になるようですが、下北の窓口として、おおいなる活躍を期待したい。

竣工式の後、ば~ゆが入港し、兄弟で最後の別れを惜しんでいました。