2012年10月24日水曜日

もみじ

芦名の時代、伊達正宗の猛攻に合い、正宗が会津地方を支配しましたが、その時、奥州会津久川城の城主河原田治部信盛は正宗の猛攻に屈しませんでした。その子孫河原田氏より昨夜電話があり、鶴ヶ城本丸に在るもみじの子供を送っても良いものかとの電話でした。会津を故郷とする私達にとって、喉から手も足も出る程嬉しい話で、2も3も無く飛び付きました。まずは斗南藩庁が置かれたむつ市の史跡に植えて、先祖供養をしたいと思う。

大間超まぐろ祭り

去る10月20,21日暴風の中(大間の人は驚かない)観光協会主催のマグロ祭りが開催されました。早朝より大間のまぐろを求め(見物に)、町外ナンバーの車でうまりました。100g数千円で販売されたようですが、12000人の町外の人々の胃袋にどれくらい入ったのでしょうか?自家消費かプレゼントかは知る由もない。解体されたマグロは2日間で13本(80キロ~100キロ)クラスですが、それでもマグロを求め長蛇の列が出来ていました。第一駐車場
マグロ料理も最近では様々です。まずは御夫婦で記念撮影。
何故かマグロの中に鯨がいました。ガムテープが雰囲気を盛り上げる!昔から大間の町は漁業者が多く、捕鯨船に乗った人々もいるし、寒冷地の為、熱い鯨油を食べる習慣がありました。大間の正月に欠かせない料理です。
頭は最高ドコサヘキサエンサンがたっぷりです。
これでも不満なら、小生の自慢のお店紹介します。マグロ漁師の直売店ですので、信用に関わる物は売らない事をモットーにしています。

2012年10月21日日曜日

呑香(どんこ)稲荷秋の例大祭

一昨日むつグランドホテル11階のグランブルーに於いて、会津墓参の反省会がありました。今回もグランドホテル会長兼斗南会津会顧問の菊池氏の御好意に甘んじ、会津往復の足が無料と言うことで斗南会津会は大変助かりました。斗南会津会の活動を応援してくださり、頭が下がります。御好意に対し改めて感謝申しあげます。一泊し、翌日、柴五郎の兄、五三郎が寝泊まりした、落しの沢の呑香稲荷の秋の例大祭があり、玉串料と御神酒(斗南藩)を持って参席しました。呑香稲荷は柴家との関わりも深い為、斗南会津会には、春と秋の例大祭には毎回御招待を戴きます。然、拝殿は一度建て替えをしたものの、老朽化が進み、小屋根も朽ちて、雨漏りもあるやのよし、昔は氏子も数百件あったようですが、昨日の例大祭では、私を含めて参席者は20名程でした。高齢化が進み、呑香稲荷の存在が失われつつ、有るのでしょうか?柴五郎と五三郎が柱に書いた筆跡が現在もくっきりと残っています。会津藩、斗南藩の歴史を風化させないためにも、何とかしなければと、心が痛みました。

2012年10月17日水曜日

不許他見其の17

これは木村幸蔵、会津藩士、公事所小役人の戊辰戦争の記録です。
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源栄製作寸志致し、夜中は毎夜村中取り締まりの為、忍び廻り等相勤め、猶又、9月2日南方面
戦争の模様、探索方右兵衛殿より仰せ聞かされ候に付き村井左次右衛門、同心、長谷川良蔵引き連れ、坂下七ツ時頃出立、高田村へ一泊致し翌三日関山村へ罷り越し候へば、田中源之進殿陣将兼ね出陣之有り候に付き面会の上、同処方面の戦争振り並びに手数合の次第承り同日坂下村へ着、右の次第、右兵衛殿へ申し上げ候。然る処、家内の者何れへ離散、何れへ立ち退き候や、案じ罷り在り候に付き、高田表において人頼み致し、相尋ね罷り帰り候処、橋爪組ツブラ岡村に罷り在り候旨、中川貞蔵方より清六を以って申し越し候形承知。同五日仲間頼み合いの上、坂下村、朝五ツ時頃出立、新屋敷新田村迄罷り越し候へば、高久河原方面に相当り砲声盛ん成る事に付き在所の者共々承り候へば高久河原戦争と相聞候旨申し聞き候に付き、直様坂下村に戻り候処、敵坂下村へ繰込み候に付き、右兵衛殿始め御付き添いの者並び同所居懸りの御人数纔(わずか)弐三拾人程にて、迚(とても)戦争に及候力も之無き故、一ト先(ひとまず)御代官所相纒(まとい)一同引き揚げ候処へ相戻り、夫(それ)より牛沢村にて昼、田沢村休息、酒瀬川村へ一泊、翌六日中田村に懸り高田へ罷りいで候途中、家内之者雀林村に罷り在り候旨承りに付き相尋ね候処、相分からず、無據(よんどころなく)高田表へ罷りいで、居所等も相分け候に付き村中徘徊罷り在り候節、大森貞治、中川清介等逢い候へば家内の義、中川、中村家内一同雀林村、喜右衛門と申す者方に罷り在り候間、罷り越し面会候様申し聞かし候に付き、頼み合いの上、夕刻尋ね参り面会致し、先ずもって家内一類迄無事に立ち退き候段漸く(ようやく)安堵致し、酒、肴等相給い、夫々(それぞれ)金子等配分致し、夜に入り、高田表右兵衛殿本陣に相戻り候

2012年10月13日土曜日

大当たり

年末ジャンボなら良いのだが、それでも小生、舞茸ではないが、踊りだしたい気持ちが分かります。一昨日こっそりと例年採っている場所へ出掛けました。車で15分、現場に着いて、驚きました。
足の踏み場が無い無い状態です。熊避けの鈴と鉈をぶらさげて、合羽ずぼんに長靴履いて、ぼろシャツ羽織って行った甲斐がありました。津軽、南部方面では、さもだし、ぼりぼり、と言われている、なら茸の事、大間では何故か、はばき茸といわれている、癖の無い万能キノコです。グリドルでバター醤油が最高、次は大根おろしをいっぱい入れた味噌汁かなー。出発時間が遅かったので採り残し、今日の午前中又出掛けました。結果的にスーパーの買い物かごで山盛り3個でした。
今夜は12時より再度鱸釣に挑戦、明日はむつ市のわんこの美容室へ孫2匹連れて、待ち時間いれて、5時間の長旅です。

2012年10月10日水曜日

木村が鈴木を釣った

去る6日、20年もサボッタ鱸釣に挑戦してみました。最近の海岸はテトラポットと高いコンクリート壁に覆われて釣り場が無くなり、諦めていたのですが、どうしても20年前の鱸釣の醍醐味が甦り、昔良く釣った場所へ梯子を持参で出掛けましたが、まだ時間が早く、サーフィンをやっている若者がおり、暗くなるのを待ちました。私の経験から鱸は10m離れて人の顔が見える明るさでは、釣った記憶がありません。やがて、第一投ーーーーー、五投目にぱくっときました。格闘5分位かな?
5キロの大物でした。ルアーロット、道糸4号、ばけ針は企業秘密ですが、知りたい方には極秘で教えても?刺身の酒は何と言っても、磐梯山の秘水で造った斗南藩が一番です。

2012年10月4日木曜日

故郷会津

9月30日斗南藩士の末裔21名が、会津墓参に出発しました。バスはグランドホテル会長兼斗南会津会顧問の菊池氏の無料提供での大名旅行!むつ市を出発して8時間の長旅でした。道中皆の頭をかすめる想いは、600キロの道程を歩いて斗南まで来た先祖達の胸の中の事だけだったと思います。私の近所に住む高畑家は、牛の背に篭を二つ掛け、子供と老人を乗せて来たそうですが、お金の無い藩士家族は、舗装道路もない、悪路を山を越え、谷を越えて、みぞれ降る中、斗南へ、たどり着きましたが、体力の無い人々は途中で倒れました。そんな140数年の過去を想いながら、初日は東山の御廟に一番近いホテルへ投宿、バイキングで食べ放題、飲み放題で、体力を付けました。あまり張り切り過ぎて先人の佐川さんの様に出陣に遅れることの無いように、私は特に?自重しました.




次の朝、御廟へ、松平家の墓。容保以後の方々が一緒に眠っています。斗南藩主容大公も。

レストランで昼食後、可愛い女性が白虎隊慰霊の剣舞を披露、拍手!!!
其の後斗南藩士が、室井若松市長を表敬訪問。左より山本、菊池、市長、木村、野崎、太田、遠藤、全員で堅い握手を交わしました。が今年は違った!市役所の職員の皆さん始め、市民の皆さんの眼光が鋭い。確かな手ごたえを感じ、会津の未来を予告していました。山本八重さん、頑張ってねーーーーー。
翌日土津(はにつ)神社を参拝、会津藩の基礎を築いた保科正之公の墓地です。
宮司さんの説明と玉串奉奠を頂きました。
最後は斗南藩酒の醸造元、栄川酒造見学で帰路につきました、けど我が家着はPM10時でした。カーチャンの土産は牛タン、私の土産は会津織のネクタイ一本、会津の教えはつつましく?