これは木村幸蔵(会津藩士公事所小役人)の戊辰戦争の記録です。
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1、越国弥(いよいよ)切迫致し候に付き、3月19日、中川、鈴木、佐藤家内共一同若松表へ差起
候事。但し道中の義、新道相かけ、御領下村々、村継致し呉そうろう由、同22日滞り無く若松
着。
1、勅使官軍等、高田迄罷り越し候よしに付き、津川へ出張罷り在り候、木村忠右衛門隊3月19
日酒屋御陣屋へ出張に相成り翌20日、井深隊一同、弥彦宿観音寺村へ出張に相成り候に
付き役場内中川清介、木村幸蔵、鈴木運治、古川保之助、佐藤勇吾、小池林助、物江勝衛、
宮下且之助、加藤右衛門、右両隊兵糧方仰せ付けられ一同出張いたし、兵糧、弾薬、兵器
運転については、数百人の人足材料、精々尽力致し20日寺泊へ木村隊一同一泊致し、
井深隊の義は観音寺村へ出張に相成り翌21日、木村隊共々残らず観音寺村へ出張に相成
候処、役場内の者共同所に一同罷り在り候ては、用便にも相立ち兼ね候につき御領下蒲原郡
堺の村と観音寺村と相分かれ同所裕次郎宅に佐藤勇吾一同引き通し罷り在り。
堺の村は中川、鈴木、保川、加藤同心共々の義は替わり合い相勤め候。
然る処井深殿より高田表の形勢、飛札を以って相伺され候処、勅使の義、江戸方へ向かいに
相成候由にて下越後へ急に向かい候様子も相見えず酒屋御陣屋之義、御手薄に付き同月
27日木村隊は酒屋表へ帰陣、井深隊の義は同日小千谷表へ出張に相成候に付き尚又同所
迄一同、同行致し、同所御陣屋詰合へ相譲り4月2日同所より乗船にて出起、三条泊まり翌
3日尚又乗船にて酒屋表着致し候事。
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