これは木村幸蔵(会津藩士公事所小役人)の戊辰戦争の記録です。
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1、五月二七日八ツ時頃若松表宿元より親大病の趣き申し越し候に付き、清水殿へ
伺い候うえ、翌二八日朝、津川までの家来壱人相頼み、明け六ツ半時頃出起、保田より
新道へ相懸り津川町、常次郎方へ兼ねて頼み置き候衣類所持致し、清水殿衣類、家来
に持たせ同処より相戻し、それより焼山端郷へ壱宿、翌二九日宿元迄着の積りにて出起
高久川原迄罷り越し候へば和田清六に行き逢い親義疾二四日病死致し葬送も相済まし
候由話承り力も抜け、もっとも夜に入り、草臥候に付き高久村に壱宿翌晦日甲賀町へ
立ち寄り四ツ時過ぎ宿元へ着、墓参等いたし六月三日出起、野沢、津川両宿へ泊まり
同所より乗船にて五日七ツ時頃水原表着。
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