6月3日斗南藩藩庁が置かれた、田名部(むつ市)の円通寺に於いて37名の有志が集合、145年前戊辰の乱で無念の死を遂げた先人の霊を弔いました。
碑の招魂之碑の4文字は斗南藩藩主だった源容大(かたはる)の書
裏面には斗南藩士だった南摩綱紀の漢文が刻まれています。
以下読み下し(徳江靖子氏)
明治戊辰の乱、会津藩士各地に奮戦す。死者数千人、その忠勇節烈は凛乎として風霜を凌ぐ。
乱平ぐに及び、生者は皆、一視同仁の澤に浴す。而して死者の幽魂は独り寒煙たる野草の間を
彷徨し、その所を得ず。ああ哀しいかな。今茲(ことし)庚子はその三十三年忌辰なり。
是に於いて、旧藩士の南部下北郡に居する者、碑を圓通寺に建て、招魂の祭りを相謀る。
この寺はすなわち旧藩主容大公の斗南に封せらる時の館なる所也。
其の後斗南ヶ丘の墓地へ献花して、総会、懇親会と続き、更に二次会、三次会は定番でございます。
斗南会津会の平均年齢は5,6歳若くなりました。これでも?。斗南会津会の奥様方は美女だらけ、会津藩士は面食いだったのかなー?
0 件のコメント:
コメントを投稿