これは木村幸蔵(会津藩士)の戊辰戦争の記録です。
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1、新発田家の義、いよいよ官軍附きの由、相あらわれ候につき、6月10日仙藩、米藩など申し 合
いの上、加治川五十公野、荒川村あたりまで人数押し出し、すでに取り掛かり候義の処、人
数六百人差出し候て、いよいよ詫び致し、右人数米藩、上ノ山人数一同、水原へ懸り長岡方
面へ出兵致し候事。右に付き、酒屋表の義、御人数とても、之無く御手薄にて、にわかの義
不意など、打ち掛けられ候様の義、これあり候ては必至の防戦なども行きおよび兼ね候処と
急飛さしおこし、陣屋詰役々残らずひとまず水原表へ引き揚げ候事。
1、同月十七日新発田表の義、鎮静いたし候旨、酒屋表へ帰陣致し候。
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