2012年10月17日水曜日

不許他見其の17

これは木村幸蔵、会津藩士、公事所小役人の戊辰戦争の記録です。
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源栄製作寸志致し、夜中は毎夜村中取り締まりの為、忍び廻り等相勤め、猶又、9月2日南方面
戦争の模様、探索方右兵衛殿より仰せ聞かされ候に付き村井左次右衛門、同心、長谷川良蔵引き連れ、坂下七ツ時頃出立、高田村へ一泊致し翌三日関山村へ罷り越し候へば、田中源之進殿陣将兼ね出陣之有り候に付き面会の上、同処方面の戦争振り並びに手数合の次第承り同日坂下村へ着、右の次第、右兵衛殿へ申し上げ候。然る処、家内の者何れへ離散、何れへ立ち退き候や、案じ罷り在り候に付き、高田表において人頼み致し、相尋ね罷り帰り候処、橋爪組ツブラ岡村に罷り在り候旨、中川貞蔵方より清六を以って申し越し候形承知。同五日仲間頼み合いの上、坂下村、朝五ツ時頃出立、新屋敷新田村迄罷り越し候へば、高久河原方面に相当り砲声盛ん成る事に付き在所の者共々承り候へば高久河原戦争と相聞候旨申し聞き候に付き、直様坂下村に戻り候処、敵坂下村へ繰込み候に付き、右兵衛殿始め御付き添いの者並び同所居懸りの御人数纔(わずか)弐三拾人程にて、迚(とても)戦争に及候力も之無き故、一ト先(ひとまず)御代官所相纒(まとい)一同引き揚げ候処へ相戻り、夫(それ)より牛沢村にて昼、田沢村休息、酒瀬川村へ一泊、翌六日中田村に懸り高田へ罷りいで候途中、家内之者雀林村に罷り在り候旨承りに付き相尋ね候処、相分からず、無據(よんどころなく)高田表へ罷りいで、居所等も相分け候に付き村中徘徊罷り在り候節、大森貞治、中川清介等逢い候へば家内の義、中川、中村家内一同雀林村、喜右衛門と申す者方に罷り在り候間、罷り越し面会候様申し聞かし候に付き、頼み合いの上、夕刻尋ね参り面会致し、先ずもって家内一類迄無事に立ち退き候段漸く(ようやく)安堵致し、酒、肴等相給い、夫々(それぞれ)金子等配分致し、夜に入り、高田表右兵衛殿本陣に相戻り候

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