これは木村幸蔵(会津藩公事所小役人)の戊辰戦争の記録です。
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然るところ赤塚常之助義、小子家内の義雀林村立ち退き田中村へ参りおり候旨、相話し候に付仲間頼み合いの上16日昼後同所へ立ち越し一泊致し候ところ、よく17日一関村近村大戦争相始まり村々残らず放火、味方大敗軍の様子、本郷辺り大切迫致し候に付中川隠居等も参り居り話し合いもこれあり候に付尚又一泊致し候ところ、18日高田表戦争相始まり大切迫に付家内の者は南方へ立ち退き候様申し聞かせ、それより兵糧方へ相戻り八重松村へ相立候ところ右兵糧方本郷山へ罷り出候様、右兵衛殿より申し来たり候に付夜に入り罷り出候ところ、同夜諸隊残らず大内村へ引き上げに相成り候間、この段相心得候よう、仰せ聞かされ候に付八重松村へ立戻り米味相貯えその夜、夜半過ぎ頃より出起、夜通し大内村へ罷り越同所右兵衛殿隊兵糧方取計らい罷り在り候内、同22日御降伏に相成り候段御城下より申し来たり。
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