2013年1月11日金曜日

有賀ちよの事

一昨日読売新聞の記者が最北大間まで取材に来ました。一億五千万ではありませんが、つるつるの道路を150キロ事故も無く来られた事に、我が子のように安堵しました。読売新聞も今回はやはり、八重の桜に関したネタ探しかな?とは思っておりましたが、今回は以前から私がブログで書いていた、有賀ちよの末裔の方からのメールで今迄の疑問が解決したしたことをお知らせしました。神奈川県在住の子孫の方の有賀家の系譜によれば、有賀ちよさんは白虎隊士、有賀織之助の10歳上のお姉さんである事も明記されております。そして昭和3年青森市の清岸寺で没となっていますが
有賀ちよさんは鶴ヶ城籠城戦の時八重子さんと二人で病室になっていた書院へおにぎりを運ぶ途中で官軍の砲弾が近くへ着弾し、爆風が収まったとき、真っ黒になったお互いの顔をみて二人で大笑いをしたと言う逸話がありますが、私は青森の清岸寺に厄介になっていた時のちよさんの盲目は官軍の砲弾を受けた時の、爆風に起因するものと思います。息子も青森に住んでますので時間を作り、ちよさんの墓石を探索したいと思います。只これが新聞の記事になるのかどうかは分かりません

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