2011年2月14日月曜日

木馬


斗南藩主幼公容大(かたはる二歳)が乗って遊んだと云われている木馬。
元は実際に本物の馬の毛皮だったらしいが、今わ毛と耳が抜け落ちています。
青森県内に現存するらしいのですが、其のうち詳しい事調べてみようと思います

2011年2月11日金曜日

越後見渡勘定七分三分見立

曽祖父の残した戊辰戦争日記に書かれているものですが、内容が良く分からない侭投稿してみますので、御分かりの方は御一報下されば幸いです。以下本文
門徒宗  七分。  舟通行  七分。  信心参り  三分。  座頭  四分。                                                        
瘡毒(ヒセンカキ)  七分。  蛍  三分。  上戸  七分。  水損場  七分。  坊主 八分
諸宗  三分。  馬駄  三分。  名聞参  七分。  ごぜ  六分。  蚊  七分。
下戸  三分。  旱(ひでり)損場  三分。  神職  二分。  石地蔵  八分。 米  八分。
漁師  三分。  田畑  六分。  船渡  八分。  眞情  一分。  朝起  二分。
供養塔  二分。  大豆  二分。  職人  七分。  山  四分。  橋場  二分。
小銭  二分。  薄情  九分。  朝寝  八分。  放蕩  五分。  神社  三分。
里猫  三分。  扇  五分。  武士  二分。  山伏  一分。  三弦  九分。 鳥  八分。
寺院  七分。  鴎(はまねこ)  七分。  炬燵  五分。  百姓商人  八分。 尼  九分。
琴  一分。  鳶(とび)  二分。  芸事ノ出来候人  一分。  名医  五里。 金持 一分。
俳諧  九分五里。  女郎  六分。  眞ノ学者  一分。  むせか里  九分。
藪医  九分九里。  表餝(かざり)  九分。  歌人  五里。 素人 四分。  天狗  九分。
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2011年2月8日火曜日

ヤンシー号

明治3年私の先祖達を新潟港から陸奥の国、野辺地港や安渡港(現在大湊)やそれ以前明治2年青森港から函館港へ(函館戦争の為)官軍を運んだ船がヤンシー号と云われている。然しヤンシー号を確固たる証明出来る資料を現在まだ持っておりません。唯言い伝えと色々の情報に依ると、将軍家茂の時代、徳川幕府がアメリカ、ニュウヨークのデント組合から購入したとの情報を得ました。購入当時の船名は中国名で揚子江(やんつーつえ)だったようですが、薩長軍が鳥羽伏見の戦いで勝利し、徳川幕府の軍艦を没収した後、やんすー号と云っていたようですが、東北ではスとシが時々同じになりますのでヤンシーに変化したのではないかと思っております。このブログをご覧になって
より詳細な情報を御持ちの方は、是非コメント頂ければ幸いです。宜しくお願いします。

2011年2月7日月曜日

願掛け岩

男願掛け岩
海抜103メートル
大間から西へ16キロメートル離れた佐井村にあります。津軽海峡へせりだし垂直に切り立った岩肌は冬将軍へ挑戦しているかのようです。後ろ側に女願掛け岩があり、海抜90メートルです。
夏場は観光客も多いのですが、冬の現地は人影も無く波の音と、かもめが賑やかさを添えてくれます。                                                                                                                                     男願掛けのふもとに鳴海要吉の歌碑があり、これはそこから西下方の映像です。

あそこにも
   みちはあるのだ
    頭垂れひとひとりゆく 
       猿がなく浜 
         鳴海要吉  
                             

  男願掛け岩                          






                                                                                                                                                            

青森県函館市大間町?

私達は長年大間町に住んでいますが、今までテレビ放送は全て北海道放送しか見たことがありません。青森放送が場所的に電波が届かなかったのか、原因がハッキリしませんでした。町内でも見える所はあるのですが。県民税もしっかり払ってきたのにね、ブツブツものです。確かにこの町から青森市まで車で3時間半、函館市へはフェリーで1時間半ですから、函館のフェリー埠頭からタクシーで飛行場へ行き羽田まで飛行機の方が乗り物に乗っている時間だけで計算すると青森市へ行くより東京の方が近くなります。ここは緯度的に北海道松前町より北になり、従って桜の開花も松前よりも遅い訳です。ですから青森県民なのに北海道民に近い感覚でいたのかも知れません。それが先日電気屋さんから青森放送用のアンテナを追加すれば見えると云われ、取り付けたところ見事にハッキリ見える様になりました。青森市、弘前市、五所川原市、等いままで見たことのない町名と映像、津軽弁が流れ不思議な気持ちになり、昨日から青森県民としての認識を新たにしております。それに北朝鮮と同じ緯度だからカーチャンのキムチが美味しーい・・・・のです。

2011年2月5日土曜日

嘘のような本当の話

私は女房のカバン持ちで良くスーパーへ買い物に付いてゆく、女房に運転免許が無い訳ではない。雪道が怖いだけです。スーパーでは必ず魚売り場をのぞくことになるけど、鮑(あわび)の高いのには毎回驚きである。
今から60年前私が10歳のころ、夏休み中は毎日のように、隣の餓鬼大将クロちゃん(色が黒いのは朝から晩迄外で遊んでいるから)と弁当も持たず磯へ出かけ鮑を採ったものです。素潜りで一回に5,6個だから50回潜れば300個近い数です。サイズは5,6センチですが弁当代わりに50個位たいらげます。今買って食べれば完璧に破産しますね?又家の裏の海で遊んでいる時も近くの加工場の干場には中国向け
乾鮑用の鮑が数えきれない位干してあり、ついつい子供心に1,2個頂いてしまいますが、加工場のおやじさんは、あんまり喰うなよ!で終わりました。又朝は漁師のかっちゃ(おくさま)が鮑のいっぱい入ったもっこう(木製の背負い箱)を背負い集荷場へ行く途中我が家によって、ほれとせ(どうぞとってください)と云って大粒の鮑を2,3個置いてゆく事は極普通だったようです。その後成人になって気付いたのですが(自然を保護することの大切さ)遅かったかなーーー。それにしても今思えば津軽海峡は宝の海だったんですね。
古き良き時代のお話しでした。

2011年2月3日木曜日

津軽海峡冬景色

本州最北端大間崎今日PM4時の映像です。遠くに北海道の連山が見え画面の左に日本海、右に太平洋が見える大パノラマです。青い海と、青い空、空気は限りなく透明です。私は画面の手前から、すずき釣りをやっていますが、中間右端に見える標識灯も私の縄張りです。潮の流れは鳴門海峡の次ですが、川の流れと変わりません。標識灯は周囲50㎝位の狭い所ですが、命綱を付けてのフィッシングは命に代え難い楽しさを感じます。あまりノリスギて一度、赤い電気ウキを救難信号と漁船に間違われた事がありました。それがバレテ女房にコッピドク(したたか)叱られましたが、それから20年(内緒)無事に生きています。今日の最高気温はプラス1度位かなーーー。         
明日から少し気温が上がります様、神様にお祈りします。