これは木村幸蔵(会津藩士公事所小役人)の戊辰戦争の記録です。今回不明の文字?は
推測です。
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但し観音寺村より小千谷表へ罷越候途中、与板城下を通り脇町泊まり、それより小千谷着、御陣屋へ帰陣致し候処、面々家内等も罷り在らず候に付き、村井、鈴木一同中川宅へ同居罷り在り候、鈴木運治義は観音寺村より木村隊へ付き添い罷り帰り候事。
1、四月二十四日、名倉殿水原表へ罷り越され候ニ付き、付き添い罷り越し候、同心林助、勝衛
水原表郷宿、丹治門右衛門方へ壱宿翌二十五日昼後出起、新津宿へ廻りガラメキの火一覧
帰陣致し候事
1、其四月朔日(ついたち)水原表出張所へ小林恒五郎、交番の為、罷り越し候事、三十日積り
同九日本?(やとい)乍相勤め、同所御勘定所小役人当座仮役仰せ付けられ同月二十五日、
右当座
仮役御免に相成り五月朔日交代帰陣致すべく積りの処、管野右兵衛殿隊、与板方面へ出陣
に相成り、御勘定所役人御付き添い出陣致し候にては手不足にて御用犇(はしり)と御差仕
に相成り候由、庄司力之進義、御用之あり二十八日水原表へ罷り越し候処、翌二十九日
力之進一同尚又御勘定所小役人仮役仰せ付けられ候ニ付き居残り本?(やとい)不?(やとい
)罷り在り候ては本?(やとい)御用支に付き御達しの上五月五日より私のみ本?(やとい)
相勤め乍仮役相勤め候様、仰せつけられ相勤め罷り在り候事。
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