2011年2月26日土曜日

御霊櫃峠出陣中日記帳その10の2

1、敵味方之変事を聞出ニおイテハ昼夜不限ニ訴ふへし流言雑説申触間敷候事
1、鉄砲ハ兵器之隋ヘニして失フトハ不覚之至也仮令隋味方大敗ニ及び候共決
  而不可捨去事
1、陣中調錬不怠運動を可心懸其他ハ物静ニして気を可養事
  右条々皆可相守者也
  慶応四年辰五月

        禁製
1、  咳哢口論并諸勝負之事
1、  過酒好色遊興之事
1、  猥ニ伐林木田畑を踏荒或ハ押買狼藉之事
右之条々皆致停止之若捨令違背ハ可処厳科者也
慶応四年辰五月


五月二十六日申渡覚
諸月番
奥羽連合組相整候次第委曲先達而中申聞置候処此程弥相整
別紙照会約書仙台表ニおいて別半連半之上及誓約候儀ニ候
此旨被得其意仲ヶ間并組支配江も可被申聞候事

今般奥羽列藩会議於仙台表、告鎮撫総督府欲以修盟約
執公平正大之道、同心協力、上尊王室、下撫人民、維持皇国、
而安宸襟、仍条例如左。
1、以伸大義于天下為目的不可抱泥小節細行事
1、如同舟渉海可以信居弱義動事
1、若有不慮危急之事此憐各藩援救可報告総督府之事
1、勿負強凌弱勿計私営利、勿漏泄機事勿離間同盟
1、築造城堡運搬糧食、雖不得止、勿没令百姓労役不勝難苦
1、大事件列藩集儀可帰公平之旨細微則可随其宜事
1、通牒他国或ハ出兵隣境皆可報同盟事
1、殺戮無辜勿掠奪金穀凡事渉不義之者可加厳刑事
右条々於有違背者則列藩集議可厳牒者也
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2011年2月24日木曜日

昨夜ニュウジーの話

例に依っていつもの通り単身赴任の男からTELがあった。今晩御暇?答=無職だ、で契約成立である。間も無く御来席。第一声、俺の娘1月にニュウジーへ行った、である。
ビックリギョウテン!前日の大地震。それも英語の勉強の為との事、益々不安が募る中、奥様から
向こうの大使館関係から連絡が入り娘さんは大丈夫との事で、ホット一安心、する間も無く彼の携帯は一時間程鳴りっぱなしでした。今日のニュースでは日本人不明者は20数名とか?無事を祈ります。私達は何も出来ないけど無事を祈る事だけは出来ます。何とか助かって欲しい。私は年寄りだが不明者は若者が多い。出来ることなら代わりに成ってあげたい。
それで現地の話をしながら、酒を飲みだした、最後は2升マイナス一合であった。酒が飲める奴に悪人はいない。

2011年2月23日水曜日

斗南磐梯



正式名称は釜臥山。明治3年会津から旧会津藩士とその家族は陸路、海路で新領地、斗南をめざし北上してきました。最終的に藩庁は田名部の円通寺と決まり、田名部の町に進路をとりました。そこで藩士達は目の前にそびえる巨大な山に目を見張りました。つい数日前まで見ていた郷里の磐梯山に非常に良く似ていたからです。その後藩士と家族達は毎日のように山を眺め郷里を思い
涙を流したと云われています。誰が云うともなく斗南磐梯と云う名称がつきました。標高879m。

2011年2月21日月曜日

新粉寒そば会

2月20日斗南会津会恒例の寒そば会がむつ市はねやホテルで開催されました。
会員と会津藩、斗南藩に熱い関心を御持ちの方々が77名に膨れ上がり、盛大に
盛り上がりました。最初12,3名で始まったそば会が僅か7年にしてこのように進歩
した背景には、140年昔先祖達が会津から挙藩移封された下北は不毛の地、神代
のままの国といわれた、そのむつ市の斗南ヶ丘で栽培された、そばである事と、当時斗南ヶ丘へ
200戸入植した中で只一戸現在も居住している島影家が栽培した蕎麦と云う事。そして下北の
厳寒の冬を越した蕎麦だからだと思います。奥戸(オコッペ=大間町内)のじゃが芋も同じで寒い
冬程まろやかな甘みが出、兎に角絶妙な舌ざわりでした。澱粉質が変化するのかなー。
又参加者の中でベートーベンの交響曲第九の会のメンバーが10名近く参加しておられました
会津藩士松江久平(斗南へ来たと云われていますが名簿の中に見当たりません。多分明治5年の壬申戸籍発布前に会津へ帰ったのかも)の長男松江豊寿が第一次世界大戦のとき板東俘虜収容所でドイツ人俘虜
にとった人道的な行為はあまりにも有名な話ですが(映画バルトの楽園)、そのときドイツ人俘虜が演奏した第九が
日本で最初の第九の演奏だったそうですが、会津と第九と云う御縁でお付き合いさせてもらっております。只一つ失礼したのは、140年前の先祖達も参加していた為、蕎麦が少し足りなかったかも?来年の課題にします。
愈々酒宴、酒は会津??そば盛り、お母様方御苦労さまでした。お父様方は深く反省
                           市長、市議さん、第九の会長のってますねえ
気分は壮快、頭はモウロウー??

2011年2月18日金曜日

御霊櫃峠出陣中日記帳その10の1

五月二十六日申渡覚
諸月番
1、殿様三代方面為巡見、明二十七日御発駕被遊被仰出候、右ニ付き御供方別紙之通
  御連被遊筈二候此旨被得其意仲ヶ間并組支配へも被申聞当所人別只今可被書出候事
陣中掟
1、陣中惣而油断を戒め勝而二伐り負而志??すへからす
1、約束之刻限遅滞致間敷候事
  附出勢触式は不意之節之相固予メ約定可有之合印、合言葉等時二臨ミ
  約定之心得肝要二候事
1、公用之外猥(みだり)二他陣往来致間敷候事
  但無拠用事有之節ハ届之上往来可致候事
1、矢火式ハ俄騒動之節ハ近間之者早速近付、其余ハ手元へ集可受差図器械
  諸落物之始末ハ兼而更番ニ更別を可定置事但弾薬之始末別而心を可付候事
1、他境ニ入或る勝ぶかましき義致間敷尤下知無シテ金銭を取間敷事
  附賄之善悪申立間敷事
1、敵陣近キ所ニ而夜火を燈スへカラス、長立面々又ハ諸番所用意之火ハ
  各別病人手負等ハ届之上可為用捨事但留火致候者火光外へ不見様
  用心可有之尤夜行ハ伏火燈を可用事

次回へつづく



大丈夫か猛きこころを君か為死出のやま路のさきかけにして
                        小山田 孝清

2011年2月17日木曜日

芸能保存発表会

去る2月13日大間町海峡保養センターに於いて年に一度、日頃鍛えた芸の発表会がありました。
会長、町長さんの挨拶の後、トップバッターは何といっても大間海鳴り太鼓です。津軽海峡をイメージした勇壮な太鼓です。
ちゃんこ茶屋のばば
古くから大間の町に伝承されて来た盆踊りです。今回は可愛い女の子達が踊っていますが
私も若い頃は浴衣に団扇で踊ったものです。
仁和賀山

和田さん、寿、堅蔵、友哉、教授皆キマッテルヨー
仁和賀山切声(にわかやまきやり)元は鰊場の沖揚げ音頭から変化したと云われています。
道先  ドト~ゴ~オ、ド~ットコデ若い衆たのむ。
下声  エ~
道先  ヨヤ~サァ~
下声  ヨ~ヤ~サ~
道先  ヤサノヨ~イサ~
下声  エ~エエ~ヨ~ヤサ~
道先  ヨ~オイト~ナ~
下声  ソ~リャエンヤ、ヤッコラドッコイ、ヨ~オイドッコイ、ヨ~オイドッコイナ~
(1)道先 ソ~ラ~エ~~エ
      今日は日もよ~し天気もよ~いし
      恵比寿、大黒舟遊びヨ~オイトオナ~
  下声 ソ~リャエンヤ、ヤッコラドッコイ、ヨ~オイドッコイ、ヨ~オイドッコイナ~
(2)道先 ソ~ラ~エ~~エ
      大鯛小鯛を釣り上げて~
      釣りざおかついで踊りだす~ヨ~オイトオ~ナ~
  下声 ソ~リャエンヤ、ヤッコラドッコイ、ヨ~オイドッコイ、ヨ~オイドッコイナ~
(3)~(9)まで省き
(10)道先 ソ~ラ~エエエ~これでも行かねば神がみた~のむヨ~オイトオ~ナ~
    下声 ソ~リャエンヤ、ヤッコラドッコイ、ヨ~オイドッコイ、ヨ~オイドッコイナ~
    道先 ドト~ゴド~ットゴデ仁和賀山一声たのむ”
    下声 エ~エ~エンヤエンヤエンヤ
    道先 コラッコレデモ行かねば、ヤ~ショイサデ、ヨ~シヨイサ~、ヤ~シヨイサデ
        ヨ~ショイサ、ヨ~ヤソ~レ、ヨ~シトレ~、ヨイサデコ~レ、ヨ~シトレ~
        モヒトツコ~レヨ~ショイサ~、ヤンサ~ノドッコイ
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2011年2月14日月曜日

歌謡(下北哀史)

この歌は青森音楽奉仕団から、結成3周年を迎えた、むつ音楽奉仕会にプレゼントされた作品で、昭和42年11月19日に開催された、むつ音楽奉仕会3周年記念チャリティーショウーに於いて
作詞者、作曲者を迎えて発表された曲である。

作詞 安田近野
補作 相馬詩彦
作曲 八洲秀章

1、涙こらえて 鍬とれば
  下北哀し  火山灰
  緑の山河  夢とおく
  過ぎし戦争を ふりかえる
  故郷の唄に 故郷の唄に 風も吹く
2、会津若松  鶴ヶ城
  落城あわれ 白き旗
  はかなきものと 知りながら
  幼おん殿 いただきて
  流れて空し 流れて空し 北の果て
3、何を語らむ 宇曾利湖の
  煙にむせぶ 恐山
  茨の道を ふみ越えて
  賽の河原に 石を積み
  はるかに偲ぶ はるかに偲ぶ 白虎隊

尚この唄は当ページの関連リンク集の向陽處(斗南資料館)を
クリックすれば聞く事ができます。