8月14日。夏の終わりを告げる大間町のイベントがありました。船競争、まぐろ解体ショウ、歌謡ショウ、花火大会その他色々です。夜になり澄んだ津軽海峡の空間に打ち上げられる花火の美しさは言葉で表現出来ない程素晴らしい。この町に生まれた事の幸せを噛みしめています。その為か?息子や娘、娘婿がお祭りとお盆に合わせて帰省します。
そこで男衆3人並んだところで、娘がパチリです。一人は41歳二人目は46歳、私は72歳ですが、私は右から何番目でしょうか?
2011年8月15日月曜日
2011年8月13日土曜日
本州最北の夏祭り
8月8日(宵宮祭)東北ゲンキを胸に、愈々町民が待ちに待った、稲荷神社例大祭が始まりました。各山車はそれぞれの町内を一周後稲荷丸を先頭に、仁和賀山、大正山、弁天丸の順に神社前に整列し、祈祷を待ちます。
8月9日
運行初日のハイライトはユーターンして帰ってくる神楽や先山車との、すれ違いの時のドットコのやりとりです。一年分の溜まったエネルギーを、全身のありったけの力を振り絞って吐き出す、大声の迫力に圧倒されます。
8月10日
大間マグロ釣りナンバーワン、山崎氏宅で接待されました。さすが!マグロと鮑の超大盛り。有名人の写真もありました。
11日の大間は風速20メートルの大風が吹き荒れ、気温も秋一番がやってきました。
2011年8月6日土曜日
不許他見(秘書)其の3
1、慶應三卯年六月五日公事所金銭取り立之者より越後御新領郡役所小役人当座仮役被仰付
同七月十七日酒屋御陣屋へ罷り下る。
郡奉行 野村圓蔵(卯年九月中、公事奉行へ転役)
名倉庄右衛門(同年同月右跡)。清水作右衛門(辰年二月中御新領郡奉行被仰付 御蔵入郡奉行仮役兼水原詰
御代官 樋口作左衛門(酒屋陣屋詰)、三澤牧右衛門(卯年十一月中小出嶋詰被仰付)
佐藤源右衛門(御割元改役人勘定之者)同、村井左次右衛門、同石塚源五郎、同庄司力之進
同森幾右衛門
中川清介(小役人割元仮役)、同鈴木運治、同小林恒五郎、同木村幸蔵
山口良介(辰年四月中京都御新領より小役人被仰付)、石塚源助(若松表定雇)
渡部五助(帳付、小出嶋詰、小役人之勤めをも兼)赤塚常之助(酒屋詰帳付)、同古川保之助
同佐藤勇吾、長谷川嘉助(小頭)、永峯清次郎(辰年四月中清水殿付小頭被仰付)
大森貞治(同心)小池林助(同心)井上弥助(同心)、大嶋常太郎(同小出嶋詰帳付仮役)
梶沼栄三郎(同心)、物江勝衛(同心)、宮下且之助(同心)、田口徳五郎(同心)、長谷川良蔵
(同心)佐竹綱之助(同心)、加藤用右衛門(御新領蒲原郡寺社村庄屋御代官所帳番)
玉木直之進(同田嶋村、同)、箕輪文吉(陣屋門番)、佐市(酒屋陣屋牢屋定番間筋勤)
良助(同村住居間勤)、宇兵衛(蒲原郡福岡新田村郷廻り、頓平(同内野村郷廻り)、嘉七(同
保田村)、北上彦之丞(酒屋村庄屋)、田村祭七(庄屋兼常)(同村郷宿)、材木屋市兵衛(同村
郷宿)会津屋多次郎(同村郷宿)
同七月十七日酒屋御陣屋へ罷り下る。
郡奉行 野村圓蔵(卯年九月中、公事奉行へ転役)
名倉庄右衛門(同年同月右跡)。清水作右衛門(辰年二月中御新領郡奉行被仰付 御蔵入郡奉行仮役兼水原詰
御代官 樋口作左衛門(酒屋陣屋詰)、三澤牧右衛門(卯年十一月中小出嶋詰被仰付)
佐藤源右衛門(御割元改役人勘定之者)同、村井左次右衛門、同石塚源五郎、同庄司力之進
同森幾右衛門
中川清介(小役人割元仮役)、同鈴木運治、同小林恒五郎、同木村幸蔵
山口良介(辰年四月中京都御新領より小役人被仰付)、石塚源助(若松表定雇)
渡部五助(帳付、小出嶋詰、小役人之勤めをも兼)赤塚常之助(酒屋詰帳付)、同古川保之助
同佐藤勇吾、長谷川嘉助(小頭)、永峯清次郎(辰年四月中清水殿付小頭被仰付)
大森貞治(同心)小池林助(同心)井上弥助(同心)、大嶋常太郎(同小出嶋詰帳付仮役)
梶沼栄三郎(同心)、物江勝衛(同心)、宮下且之助(同心)、田口徳五郎(同心)、長谷川良蔵
(同心)佐竹綱之助(同心)、加藤用右衛門(御新領蒲原郡寺社村庄屋御代官所帳番)
玉木直之進(同田嶋村、同)、箕輪文吉(陣屋門番)、佐市(酒屋陣屋牢屋定番間筋勤)
良助(同村住居間勤)、宇兵衛(蒲原郡福岡新田村郷廻り、頓平(同内野村郷廻り)、嘉七(同
保田村)、北上彦之丞(酒屋村庄屋)、田村祭七(庄屋兼常)(同村郷宿)、材木屋市兵衛(同村
郷宿)会津屋多次郎(同村郷宿)
2011年7月30日土曜日
恐怖の綱渡り
長い篭のように見える、隣りの小さな点が人間です。大間原発送電線工事の様子ですが一番上空が111m位だそうです。良くここまで出来るものですね!僕はだめ!下から見ていて、冷や汗が出て夏なのに寒くなります。家の女房なら確実に腰が抜けます。誰にも出来ない、命掛けの仕事が出来る人間は自分の命と家族の命を賭けた人生哲学を永い時間を懸けて修得してきた事でしょう。単に生活の為だけだとは思えません。男として、日本の発展と仕事に対する誇りと充実感と満足感があることと思います。熟練の末、無我の境地に至ったとき恐怖心は消える事なのでしょうか?それにしても、すごい商売ですね!サーカスなら下にネットが張ってあるのですが。一番気になるのは彼等の給料いくらかなー。
2011年7月27日水曜日
ヘンリーシュネルの事
先日大阪の親戚よりメールがありました。内容はNHK、BSの放映の事でしたが、幕末期蝦夷地にあった庄内藩と会津藩の領地をヘンリーシュネルを介しプロシャへ売買してもよいと言う密談があったのでは?と言う話のようでしたが、私はそのテレビを見ていませんので、はっきりした内容は良く分かりませんが、NHKでそのような幕末史を放映するには、かなり確かな根拠があるのかなーと思っております。売買と並行して、蝦夷地は5000名の海兵隊をもってすれば、簡単に略奪出来ると言うような会話もあったとか、ヘンリーシュネルは会津藩では軍事顧問として平松武兵衛をなのり会津藩の武器の調達を一手に引き受け、容保公からも絶大な信頼を受けていたことは分かります。しかし、蝦夷地の領地と言うのは分かりません、北方警備の為の幕府からの預かり地なら分かるのですが、又幕府からの預かり地を藩主容保公が他国へ売り渡す事は、考えも及びません。其のことがプロシャが其の後ドイツに吸収された当時の資料の中にあるのでしょうか、会津藩は戦時中に全ての重要書類は焼却処分していますし、庄内藩の書類は手つかずの状態で保存されたままだと聞いています。この三ヶ所の機密書類が解明される事を望みます。更に私はヘンリーシュネルと弟のエドワードシュネルに疑問を以っています。兄シュネルは戊辰戦争後、居場所が無くなり、アメリカへ数家族を伴い移民団として渡りましたが、わずか2年で若松コロニーも倒産、其の後日本へ資金調達の為戻ったと言われていますが、そのごコロニーにも戻らず消息不明のまま、弟のエドワードシュネルは会津藩への武器の売買で詐欺を働いたと言われています。何時の日か会津藩の真実を証明できる日を待っていたい。
2011年7月25日月曜日
魂入れ
先日完成した仁徳天皇の見送り絵に魂が入りました。一昨日23日稲荷神社の月並祭に仁和賀山頭取の田中氏が参席し、宮司の祈祷のもと、玉串奉奠を頂き、其の後有志一同が本宿(大黒様を預かる家)へ集合、御祝いの席になりました。神前では2礼2拍1礼の後、御神酒を頂きますが、仁和賀山はサービス満点、最初1杯の御神酒が1合(180ミリリットル)である。しかも一気飲みしなければ次の番があります。一昨日当地の気温は最高で20度位、長袖のシャツで出掛けたのですが、たちまち体温が急上昇、冷やの秋田の天寿は効く、例に依ってドットコが始まりましたが今回は順番制、何度回ってきた事か。結局魂を抜かれて帰ったようです。当日は作者の藤枝氏も参加され70年昔の祭りの話で盛り上がりました。祭りまであと2週間、皆の気持ちも落ち着きません。
2011年7月19日火曜日
天妃様
大間町は漁業の町である。町民は津軽海峡の豊かな海の幸に恵まれてきたが、反面、死の恐怖を体験してきた人達も多い。その為海の守護神への信仰心は篤く、多くの神々が祀られている中でも天妃様として知られる中国の媽祖信仰が古くから行われている。
今から306年昔(元禄九年)村の長だった伊藤五左衛門が水戸の港(那珂港)より太平洋回りで勧請し、自宅の裏に祠を造り、氏神として祀ったのが始まりと言われている。
今から306年昔(元禄九年)村の長だった伊藤五左衛門が水戸の港(那珂港)より太平洋回りで勧請し、自宅の裏に祠を造り、氏神として祀ったのが始まりと言われている。
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