2012年11月1日木曜日

奇遇

先日の夜、三八会津会副会長、大庭さんより電話があり、当資料館へ御夫婦で来館したいとの事でしたが、久し振りの会話の中で、来年のNHK大河ドラマ八重の桜になり、その中で八重の前夫、川崎尚之助が、斗南へ来ていた話で長話になりました。大庭さんの推理では、居住したのは三戸、五戸方面の可能性が強いとの事でした。確かに関係者の史実を聞くと、可能性もありました。そして翌朝私は階下のパソコンを開いた処、なんと?川崎尚之助の子孫、修氏よりメールが入っており、明後日、大間へ御邪魔したいとの事で、一瞬狐につままれた様で、暫く考えてしまいました。間違い無く川崎氏は日曜日の夕方到着。コンコンと話しは、何時尽きるとも無く続きました。
彼の一族川崎家は兵庫県の出石藩にありました。尚之助は東京で亡くなり、その時関係者が発送したものか、北海道開拓支所宛ての原本のコピーを拝見しました。更に尚之助は斗南で、柴五朗の兄、太一朗と、斗南藩の米の購入に関わる詐欺に合った?、太一朗は斗南藩の全責任を負い、獄中へ入りましたが、斗南藩では尚之助の将来を危惧し、彼の名前を抹消したのではないか?と。確かに斗南関係の名簿では、彼の名前は確認出来ません。然し尚之助の名前は東京勤慎の時の名簿にあり原本のコピーも拝見しました。太一朗との関係から推測すると、家族の窮状を助ける為に、斗南へ来た弟五三郎との関係もあったのかも?その史実も下北では確認出来ていません。そんな会話の中、兵庫県の酒造元では尚之助と言う名のお酒を発売するそうですが、八重の桜と言うお酒は会津の栄川酒造で発売されています。手元に二本おいて、八重と尚之助の味比べも良いのかも?。新島襄さんがやきもち、やくかな?

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