2012年11月10日土曜日

有賀ちよ

先日川崎尚之助の末裔から戴いた、星亮一と戊辰戦争研究会が発刊した(新島八重を歩く)を読んでいた途中で、戊辰戦争研究会の桜井玲子氏の書かれた八重の籠城戦(2)の中で有賀ちよ子の名前が出て来て驚きました。私は有賀ちよ、と有賀ちよ子は同一人物ではないかと思っています。有賀ちよ子は籠城戦の最中、川崎(旧姓山本)八重子と二人で病院にしていた、書院に、おにぎり、を運んでいる最中、近くに被弾し二人とも怪我は無かったものの、噴煙が収まった後、顔が真っ黒に成っていて、二人ともお互いの顔を見て笑ったと、記載されておりました。私の知る有賀ちよと言う女性は、私の処から直線で100m位の処にある、阿弥陀寺と言うお寺のおばあちゃんから聞いた話ですが、おばあちゃんは今年96歳で永眠してしまいました。おばあちゃんが元気な頃の話では、おばあちゃんの実家である青森市の清願寺にいた、幼少の頃、そのお寺に有賀ちよと言うおばあちゃんがいて、白虎隊の話をしては、いつも涙を流していたそうです。有賀ちよさんは目が不自由で、青森県内のあちこちを、ほそぼそと針子をして歩いているうち、清願寺の住職に面倒をみてもらうように成ったようです。白虎隊士、有賀織之助とも関係があるのでしょうか?会津から斗南へ移住し、亡くなった時、身内の人が引き取りに来ていなければ、現在無縁仏の可能性があると思うとやりきれない気持ちです。又目が不自由になったのは、籠城戦の時の爆風が原因かも?

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