これは会津藩士、木村幸蔵の戊辰戦争の記録です。天保5年7月27日生、明治28年11月11日没。
戊辰戦争後明治3年、斗南へ挙藩移封、斗南藩では史生(書記)を勤めました。
木村幸蔵芸術書之覚
1、学問 一等 北素読所 鹿野留之助 門弟
1、書学 一等 同上 井関康太郎 門弟
1、鑓(やり)術 一等 徒ノ町表丁 澤野久之助 門弟
1、剣術 許 新天流 同上 千里富次郎 門弟
1、居合 許 同上 同上
1、柔術 許 水野新当流 服部栄蔵 門弟
1、算術 斎地助作 門弟
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安政三辰年十二月二十三日陣将隊御旗附月割与力ニ被召出
日向左傳、大沼勝蔵、土子織右衛門、三人御旗奉行
仲ヶ間並び小組ノ順
松本小十郎、平田園治、渡辺直松、松川長右衛門、奥山喜右衛門、飯岡義五郎、山口勇蔵
森 惣太輔、田村千代之助、渋井源蔵、船田忠左衛門、永峯友次郎、中野留次郎、白井貞四郎、
仁科信助、坂井久吾、白石又衛、船橋捨蔵、木村幸蔵、星 清八、野村権之進、鈴木運治
同(安政)四巳年三月十五日、六石五斗御役料被下置(くだしおかれ)御徒(おかち)ニ被仰付候
(おおせつけられそうろう)
御奏者番
坂 清左衛門、木村伊三郎、北原 匡、野村左兵衛、右轉役後追々左之人別
篠田内蔵、横山傳八郎、加須屋左近、生駒主計、杉田帯刀、一瀬傳五郎、川手主税、丹羽寛次郎
白井新次郎、牧田右京、和田源之丞、和田軍兵衛、井深守之進、長野逸八、田中源之進、
仲ヶ間之順
山口孫九郎、安藤平太夫、木村初右衛門、岡左十郎、本堂幸右衛門、斎藤東之進、磯 志兵衛、
久保田丈太夫、鈴木陽助、林 源八郎、太田傳蔵、小林信吾、西村彦六、相沢義馬、林市郎左衛門、弓木豊記、進藤清蔵、相原久左衛門、山川勝之進、田村忠之助、村松八太郎、渡部熊蔵、
井形 仲、井上松八、東原政右衛門、北村十助、森 幾之助、金子管蔵、池上勝馬、沖田弥市、
服部錠次郎、鈴木義衛、本郷雅之進、満田嘉源太、村松良之進、平野権之助、松浦鉄之助、
百瀬弁吾、鈴木又五郎、木村幸蔵、原 喜八、小沢太一郎、栗田平治、早川関三郎、長坂英吾、
斎藤弥五郎、荒川留七、竹田勝太、阿部八弥、福島三平、山内亥三郎、中野栄太郎、三瓶太郎
雪下松之進、結城繁治、飯東恒治、成田卯之助、小田磯之助、高橋源次郎、沖津甚太夫、
森源太郎、大関恵之助、吉岡千賀之助、青山豊三郎、永坂源六、石川幸八、斎藤外三郎、神谷源蔵、新藤平助、江川正吾、三瓶忠助、小林半助、斎藤平三郎、遊佐源吾、山口孫四郎、松田延治
渡部定之助、杉原又次郎、山口籐次郎
江戸常詰仲ヶ間
平出善太郎、志村右兵衛、村岡鎌太郎、石岡祖右衛門、山口伊佐美
定雇 栗原喜助 守之進
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