2011年1月7日金曜日

費金覚記(明治11年下北から東京までの道中記)その1

明治4年7月明治政府は廃藩置県を断行した為斗南藩士は全国へ散っていった。明治3年会津から岩手県北と青森県の斗南藩領へ移住した藩士と家族総数は17,300人と言われているが廃藩置県と同時に10,000人の人々が斗南藩領を去ったといわれている。その中で山川浩(大蔵)はじめ数人の藩士は東京で塾を開いた。斗南藩大属を勤めた沢二郎(全秀)もその一人であるが青森県に残った藩士の子供達は勉学の為東京の塾をめざした。この記録は私の祖父重功(11歳の時下北へ移住)が18歳の時(明治11年)、沢全秀の紹介で東京小石川の家塾、同人社へ入学のため田名部(むつ市)駅を徒歩で発し東京までの費用を克明に記録したものです。同人社は明治6年に中村敬宇が邸内に開いた家塾で慶応義塾と共に幾多の英才をだしました。

*此処で云う駅は電車の停まる駅ではなく荷馬車の引き継ぎと宿のあるところです。
*一毛の10倍が一厘。一厘の10倍が一銭。一銭の100倍が一円の時代です。
*一万円持って明治十一年の世界へタイムスリップしてみませんか?四年一ヶ月宿泊
 出来ますよ!!
以下が当家に残っている「費金覚書」の本文になります

===================================

明治11年但し寅年也   雑  費金覚記 第四月二十五日より   木村氏
青森県管轄第六大区一小区田名部駅より東京府までの費金を左に記す

一金七厘     奥内村にて玉子一つ
一金七厘五毛  同駅にて帆立貝
一金二厘五毛  同駅漬物代
一金一銭二厘五毛 有畠村にて飴
一金十五銭   横浜駅(上北郡)宿代
一金二銭    同駅茶代
一金三十一銭二厘五毛  同駅より野辺地駅まで馬七里程
一金一銭    草靴一足
一金六厘    玉子一つ
一金十五銭   七戸駅宿代
一金一銭二厘 同駅にて玉子二つ 
一金二銭    昼食の節肴代(おかづ代)
一金一銭五厘 六戸駅にてあん取り
一金三銭三厘三毛 野辺地駅昼食の節肴
一金十五銭 五戸駅宿代
一金一銭  同駅卵代
一金三厘三毛  浅水駅にて昼食の節茶代
一金一銭  三戸駅にてウンドン(うどん)一膳
一金一銭一厘  同駅にてマンジー(饅頭)
一金一銭二厘  釜沢にて草靴一足
一金十銭     同駅より福岡駅まで馬三里
一金十五銭   福岡駅宿代
一金一円二十五銭一厘  同駅名産貝付き硯(すずり)ならびに筆、紙
一金五厘    同駅にて玉子一つ
一金一銭五厘 同駅にてまんま(ご飯)取
一金九銭    コジヤ村より中山村まで馬三里ほど
一金八厘    煎餅二つ
一金一銭二厘 北上村にて蕨餅(わらびもち)二つ
一金十五銭   沼宮内村宿代
一金二十銭   同駅より渋民村まで人力車四里
一金二銭    福岡駅にて郵便切手
一金一銭五厘 草靴一足
一金八厘    あまさけ一はい
一金四厘    煎餅
一金三厘    梅漬三つ
一金一銭    昼飯の節汁二膳
                                               その2へ つづく

0 件のコメント: